本当の所有とは

ひとしずく739-本当の所有とは「与えてしまうまでは所有していることにならない」    最近、読んだ本に、こんな言葉がありました。考えてみると、私たちはこの地上で、どんなものもいつまでも持っているということはできません。 肉は朽ち、死を迎えます。その時、この地上で手に入れたあらゆる財産も、そして名誉も地位も、何一つ携えていけるものはありません。 しかし、天国に持っていけるものもあります。それは他の人に与えた愛です。そして分け与えたことのその喜びは、天国でなくてもこの地上でも味わうことができるのです。...

初めであり、終わりである神

ひとしずく738-初めであり、終わりである神 「恐れるな。わたしは初めであり、終りであり、また、生きている者である。わたしは死んだことはあるが、見よ、世々限りなく生きている者である。そして、死と黄泉とのかぎを持っている…」(黙示録1:17,18) この「わたし」とは誰のことでしょう?「死んだことはあるが、見よ、世々限りなく生きている者」そうです。それは、十字架で命を捧げ、三日後に甦られたイエス様です。その主がこう言われています。 「わたしは初めであり、終わりである」...

神の恵みを知る者となるために

ひ としずく374-神の恵みを知る者となるために 天使みたいな子だったのに・・・。 無邪気で純真と思えた子供が、次第に真似てほしくないことを真似たり、反抗 的になったりします。それが外からの影響だったりすると、親として、何とかその影 響から守ろうと躍起になります。しかし、思春期のあからさまな反抗的な行動には、手の打ちようがないように思える時があるのです。 あの純真な天使がいなくなってしまった(ハ ハ、親バカです!)ことで、私は、がっかりしたり、どこで間違ってしまったのかと自分を責めたり、どうし...

死ぬために生きる

ひ としずく369-死ぬために生きる 「死」について、どう考えていますか?とある人から尋ねられました。癌で、 医師から余命がどれくらいであるかを宣告された人でした。そ の方は医学治療はしておらず、自分で食べ物から、日常生活のあらゆることまでいろいろ考えて生活していて、いつも死を意識して生きて おられるということでした。そして、癌とわかってからは毎日を大切にして生きているので、かえって良かったとも言っていました。 私はその方に「死」について最近考えていたことをこんな風に話しました。「『人...

たとい罪は緋のようであっても

ひとしずく363-たとい罪は緋のようであっても (2011年2月) 今日はまた雪になり、我が家の周り全てを覆っています。全くの白の世界です。連日の暖かい陽射しで、辺り一帯の雪も解け、ちょっと春らしくなったなと思っていた矢先のことでした。 しかし、雪が降ってちょっとほっとした気持ちもありました。明後日には、私達の家に何年来の友人が訪ねて来ます。どう見ても、雪解けの我が家の庭は、きれいとは言えない状態でした。ぬかるんだ土の庭にあちこち枯れた草が倒れていて、私たちの手入れ不行き届きが丸見えなのです。でもどうすることもできずあきらめてい...