かわく

ひとしずく1527-かわく インターネットやテレビを見続けて、憂鬱な気分になったり、楽しそうなテレビ番組なの に、見た後、心が虚しく感じたりすることはないでしょうか。また、助けを必要としている人を熱心に助けることに忙しくしていて、ふと気づ いた時に自分の心の中に虚しい風が吹いていたり・・・。なぜこのようになるのでしょう?  複雑な社会で生きていくには、あらゆる情報に長けている必要があると思えるし、ストレ スの多い社会の中で全てを忘れてゲームや娯楽番組もたまには良いでしょう。また他の人たちとの係わりも尊いことです。しかし、それらのい...

神の作品

ひとしずく1526-神の作品 美術館に展示されていたT先生の作品を見て、わたしの友人が、T先生の作品は、それを見ていると神様の霊を感じると言っていまし た。ある作品は、その作者の意図とかその作者の癖、人柄を感じとれるものがありますが、その作者という存在を感じなくなり、その中から神様ご自身が自分に語りかけるほどのも...

空白 パート2

ひ としずく1525-空白 パート2 昨日に続き、今日はもうひとつの空白について考えてみたいと思います。それは、神からも人からも見捨てられたと思えるよ うな、試練の荒野における失われた時、人生の空白についてです。 聖書から、多くの神の人たちがこのような状況を通過したのがわかります。そうした幾つかの...

空白

ひとしずく1524-空白  今日、「墨美展」という美術展に招かれ、行って来ました。そこに私の娘の作品も展示して 頂いています。指導してくださった先生のおかげで、娘の初の作品でしたが、なかなかメッセージがこめられた作品のように思え霊感されまし た。  ところで、その時頂いたパンフレットに興味深いことが書かれていました。それは「余白の 美」という題で、いかに何も描かれていない部分が大切な役割を果たしているか、というような内容でした。  私は、このメッセージに出会えたことは大きな収穫であったと思いました。...

そ こで会おう

ひとしずく1523–そ こで会おう イエスが墓にはいないという女達の言う言葉を不思議に思い、そのことについて話しながら、 エマオへ向う二人の弟子がいました(一人の名前はクレ オパ)。彼らがエマオに向っていたのは、エルサレムに留まっていたら、自分たちの主のように、ユダヤ人たちに捕まえられ迫害されるであろ うと恐れて、逃げるためであったと考える人がいます。確かにこの二人の弟子たちは、イエス様に会った後、すぐにエルサレムに引き返しまし た。彼らのエマオに行く用事はイエ...