最後の者としての召し

最後の者としての召し (2014年3月 ひとしずく1438) ここ何年もの間、若者の就職難が続いています。中には百社を超える入社試験や面接をしている人もいると 聞きますが、それでも就職が決まらないというのは、精神的にもかなり辛い事だろうと思います。これらの若者たちのために祈らずにはいられ ません。 この若者たちのことを思いながら、聖書にある、ぶどう園での労働者の話を読んでいました。天国について 説明するためにイエス様が語られた、たとえ話です。...

慰める人となるために

11月19日 慰める人となるために (ひとしずく 高原だよりより) うちしおれている者を慰める神 (第二コリント7章6節) 神は、いかなる患難の中にいる時でもわたしたちを慰めて下さり、また、わたしたち自身も、神に慰めていただくその慰めをもって、あらゆる患難の中にある人々を慰めることができるようにして下さるのである。(第二コリント1章4節) 神様は、「慰めの神」です。どんな患難の中でも慰めてくださいます。そしてその神様からいただく慰めをもって、他の人をも慰めることができるようになるのです。...

神の御心がなりますように

五月二四日 神の御心がなりますように (二〇一二年五月 ひとしずく八一七) 愛する人が苦しむのを見る時、誰でも、その試練の圧力を少しでも弱めてあげたいと思うものです。そして、できることなら自分が代わってあげたいと。...