口の言葉

ひとしずく748-口の言葉何を語ろうとしているのか?それを語る必要があるのだろうか?その必要とは、自己を弁護し、相手を打ち負かすためのものなのだろうか?相手を中傷してまで、勝たなければならないほど、それは価値あることなのか?もし中傷することが、いたずらに相手の心を傷つけるだとしたら、私たちはまず第一に、 このことに関わるべきなのだろうか?私たちが神様から与えられた使命は、相手の善し悪しを言うことと何の関係があるのか?語らないと、神様の御国にとって何か損失が生じるのだろうか? 相手をあざけり、こきおろすという手段を使って、自分の...

愛と赦しをもって

愛 と赦しをもって  偉大な思想を掲げる哲学者よりも、あらゆる知識に通じている物知りよりも、自分の正義を主張する活動家よりも、人の過ち を赦し、謙遜に人の嘆きに耳を傾け、助けの手を静かに伸べる人の方が、はるかに人の心に訴える力を持つように思えます。それはきっと神様 の力が働いているからなのでしょう。  自分の考えや知識をひけらかし、また自分の正しさを主張したくなるところが、多かれ少なかれ人にはあると思います。しか し、私たちは皆、不完全で、過ちをよく犯し、ただ神の憐れみによりすがらなければならない存在です。...

新しいスタート

新しいスタート (2011年8月配信 ひとしずく546)  軽井沢二泊三日の最終日の午前中、子供たちが他の部屋でアクティビティーをしている間に、被災者であるお母さんたちと妻と私の7人 で、テーブルを囲んで ゆっくり話をする機会を作りました。そのお母さんの一人が、こんな胸の内を話してくれました。「私は、懺悔したいことがあります」彼女はクリスチャンでは ありませんが、余程、心に重くのしかかるものがあり、私が宣教師であることを知ってか、聞いてほしかったのでしょう。 こみ上げる涙をぬぐいながら、何とか話そうと努力している彼女の言葉を、...

勝利にのみ込まれた死

(二〇一一年十一月 ひとしずく六一九)  ある人達はこう言います。「イエス様は十字架上で殺され、地上での任務は 失敗に終わってしまった」と。 十字架刑は、罪人としての死を遂げるということですから、確かに十字架の 死は、敗北のように見えます。  しかし、イエス様の生涯から、その十字架の死を除いたら、私たちは主によって救われることも、また天国に行くこともできなくなってしまっ たことでしょう。 そして何よりも、イエス様の苦しみと死は、イエス様と私たちを、愛の絆によって一つに結ばせたのです。私たちがイエス様への敬慕の念を抱...

荷物のかたわらにとどまる人たち

十月四日 荷物のかたわらにとどまる人たち (ひとしずく六〇七)  ダビデは自分の主君イスラエルの王サウルの手を逃れていました。それは、サウルが国民の人気を集めているダビデによって自分の王位を失ってしまうことを恐れていたからでした。 ダビデはもはや逃げ場がなく、手勢わずかの軍と共にサウルの敵であるアキシ王(ペリシテの王)のところに身を寄せていまし た。  アキシ王及びペリシテの他の王たちは、イスラエル、つまりサウル王との戦いに、ダビデとその兵士を連れて行くことを許さなかったので、ダ...