闇を照らす光

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2022年11月19日

「ひとしずく」ーーひと昔編

日曜日の今日、Dさんが福島県の相馬からはるばる秋田に来てくれました。彼は、いつも、私が那須に滞在中に、聖書の言葉を一緒に学びたい一心で、仕事を終えてから車を運転してやって来るのですが、何と今回は一晩かけて秋田にやって来てくれたのです。彼は朝、こちらに到着し、午前九時ころから聖書の学びを始めました。

 私たちのところにはすでに、Tさんが数日前から滞在しているので、そのTさんとDさん、 そして子供達と私で聖書の学びをしました。そして、その午前中の聖書の学びを終えると、ランチの後、再び私たちは聖書を一緒に読みました。

 Dさんは、「ああ、水を飲んだ気がする・・・聖書は一人で読むことができるけれど、一緒に読むことによってたくさんの気づきがあるので、こうした機会はとても祝福です」と言いました。

 私たちが読んでいたのは、詩篇の一一九篇でしたが、そこには、いかに神の言葉が、私たちにとって命であり、支えであり、導きであるかが書かれています。

「あなたの語る教えはわたしにとって善いものでした。いく千の金銀にも勝って。」

詩篇一一九篇七二節 フランシスコ会聖書研究所訳

しかし、こうした素晴らしい命の言葉も、聖書に長い間親しむと、あまりにも身近にあって馴れ合いが生じ、十分な尊敬を神の御言葉に対して払わなくなる恐れがあるという話になりました。その時、最近、聖書を読むようになり、イエス様を信じるようになったTさんが、次のように言いました。「聖書に早い時期から出会うことができた人たちは、とて も恵まれていると思う。自分はイエス様に出会うまでは、真っ暗闇の中を手探りで歩むようなものでした。イエス様を信じている人たちは、同じこの世の暗闇を歩くとしても、懐中電灯を灯しているようなものだと思います。遠くは見えなくても、近くは照らすことができるでしょう」 と。

 Tさんにとってイエス様についに出会えたことがどれほど、人生の画期的なことであり、聖書を信じている人たちが持っている光がどんなに、希望をもたらすかという話を聞いていたDさんも、私も改めて、自分たちが与えられている神様からの恵みとその素晴らしさに気づかされ、感謝することになりました。

 Dさんは、自分は親がクリスチャンで、生まれた時から聖書に触れているけれども、自分にそうした機会を与えてくれた親にあまり感謝の気持ちを持っていなかった、と話してくれました。Dさんは、自分の親のしたこと、していることで受け入れ難い部分がとても、自分を煩わすことでについて、心を悩ましてきたけれど、親が自分に聖書に触れる機会を与えてくれたことがどれだけ有り難いことであるかに、Tさんの話から気づかされたことを話しました。

私も、Tさんの話を聞いて、今はイエス様の恵みにあずかる毎日だけれど、自分がイエス様に出会うまでどんな苦しい生活をしていたかを思いました。そしてイエス様をまだ見出せていない人たちがいかに大変な状態にあるかを考えさせられ、福音を伝えることの大切さを思いました。

 イエス様が与えてくださる知恵、また導き、悟り、あるいは理解は、私たちの進む道を懐中電灯のように照らしてくれる光です。それによって、ずっと先まで見えないとしても、足元を優しく照らし導いてくれる光なのです。暗闇を行く時、この光があるのとないのと では雲泥の差があります。私たちの歩む道は、 この光に照らされている道です。そのことに改めて感謝し、真っ暗闇をさまよう人々に、この光を分け与えるためにもっと必死にならなければ、と思いました。

イエスは、また人々に語ってこう言われた、「わたしは世の光である。わたしに従って来る者は、やみのうちを歩くことがなく、命の光をもつであろう」。

ヨハネ八章十二節

あなたのみ言葉はわが足のともしび、わが道の光です。

詩編一一九篇一〇五節

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