練られる時

四月二六日 練られる時 (二〇一四年九月 ひとしずく一六七三) 賀川豊彦は壁に耳を傾けると、そこから声が聞こえる、というようなことを語りました。確か獄中の体験からの言葉であったと思います。あれほど、神のために生き、人のために犠牲となって身を捧げた彼が、そのような状況に置かれたのです。  主イエスに従い、主の愛のいましめに従おうと、一歩を踏み出したのに、障害だらけ、というような事が起こる時があります。つい、そんな時、主はこれをごらんにならないのか??なぜ何もしてくださらないのだ?という不信の念に駆られる人は少なくないと思います。...

二人の主人、神と富

四月二五日 二人の主人、神と富 (ひとしずく一一一九) 「スイスの神学者ジャン・カルヴァンは、そのヘブル人の預言者らについての注解において、神はその貧しき者と一体であり、 彼らの叫びは神の痛みを現していると述べている。」(「The Reason for God」...

傲慢な神? 

四月二四日 傲慢な神? (二〇一三年三月 ひとしずく一一一八)...

悪の洪水にも立ち得るために

四月二二日 悪の洪水にも立ち得るために (ひとしずく一一三三) わたしのこれらの言葉を聞いて行うものを、岩の上に自分の家を建てた賢い人に比べることができよう。雨が降り、洪水が押し寄せ、風が吹いてその家に打ちつけても、倒れることはない。岩を土台としているからである。  また、わたしのこれらの言葉を聞いても行わない者を、砂の上に自分の家を建てた愚かな人に比べることができよう。雨が降り、洪水が押し寄せ、風が吹いてその家に打ちつけると、倒れてしまう。そしてその倒れ方はひどいのである。(マタイ七章二四~二七)...

因果応報

四月二一日 因果応報 (ひとしずく七七〇) 「因果応報」という言葉があります。「よい行いをした人には良い報い、悪い行いをした人には悪い報いがある。過去および前世の因業に応じて果報がある」という意味ですが、これは仏教用語だそうです。また「業(ごう)」という仏語もあります。「業」の意味も、過去の行為や成したことの結果という意味で、因果応報と同じような意味です。...

その慰めをもって

四月二十日 その慰めをもって (ひとしずく一一三二) 神は、いかなる患難の中にいる時でもわたしたちを慰めて下さり、また、わたしたち自身も、神に慰めていただくその慰めをもって、あらゆる患難の中にある人々を慰めることができるようにして下さるのである。(第二コリント一章四~六節) この聖句は本当にその通りだと思います。...

真の神

四月十八日 真の神 (ひとしずく一五三五)...