八月二日 恐れの怪物 (二〇一二年八月 ひとしずく八九四)
巨大な怪物が自分に襲いかかって来るところでした。しかし、私は逃げることなく、なぜか写真機を持って、それでその怪物を撮り続けていました。 何かその実態を写真に収めることが、その怪物の力を暴露し、打ち勝つことができる方法であるかのような感じでした。
私は必死に、カメラのレンズを通して怪物から目を離さないでいました。 聖書には「終わりの時には、老人は夢を見る」とありますが、私もそろそろ老人の仲間入りですので、もしかしたら、この夢は何か深い意味があるのかも知れないと思い、主に尋ねてみました。 イエス様から受け取った言葉は次のようなものでした。
「人の魂を脅し、虜にしようとする悪鬼共が地に解き放たれていて、人々はうつ、不安、恐怖に駆られている。物事が急速に変化する世界の中で、悪魔は巧みにそれらの状況を用いて、人々を恐怖に陥れようとしている。
だから、しっかりと私の声に耳を傾けなさい。私の目を通して状況を見るように、私に求めなさい。どんな状態にあっても、敵は父の許しがなければ、あなたの髪の毛一本をも奪うことはできない。私があなたの保護のために使わしている天使たちの軍勢は、敵の勢力にはるかに勝るものだ。あなたの恐れない信頼と信仰が、それらの天使たちの力を活性化する。そしてあなたに敵の卑小さ、無力さを示し、死の恐怖を取り除いた私の勝利を通して物事を示そう。
あなたがたの肉の目に焼き付けようと、敵が造り出したすさまじい混乱と破壊の力は、父の定めた時になると、平安と喜びにとって代わる。私のゴールに目を留めていなさい。私があなたに与えたカメラは、信仰の目を通して物事を見ることができるものだ。何が虚偽で、何が恐れるべきものでないかをあなたに示そう。滅ぼす者に打ち勝つ私の力により頼みなさい。
私には、天においても地においても一切の権威が与えられている。また私はすでに世と世の君である悪魔に打ち勝ったのだから。」
イエスは彼らに近づいてきて言われた、「わたしは、天においても地においても、いっさいの権威を授けられた。それゆえに、あなたがたは行って、すべての国民を弟子として、父と子と聖霊との名によって、彼らにバプテスマを施し<父と子と聖霊の名に浸し=父と子と聖霊との交わりに入らせ>、あなたがたに命じておいたいっさいのことを守るように教えよ。見よ、わたしは世の終りまで、いつもあなたがたと共にいるのである」。(マタイ 28章18-20節)
神に従いなさい。そして、悪魔に立ちむかいなさい。そうすれば、彼はあなたがたから逃げ去るであろう。(ヤコブ4章7節)
子たちよ。あなたがたは神から出た者であって、彼らにうち勝ったのである。あなたがたのうちにいますのは、世にある者よりも大いなる者なのである。(第一ヨハネ4章4節)
恐れの怪物は、人それぞれに異なっていると思います。ある人にとっては、将来への不安、またある人にとっては現状の問題であり、うつや何かの病気かも知れません。とにかく、恐れの怪物の姿に悩まされている人がいるのなら、イエスの御名によって、悪魔を叱責し、立ち向かうことができますように。恐れの霊は、神からではありません。イエスの名によって立ち向かうなら、敵は退きます。御言葉にそうあります。主が、その力をもってあなたを守り、力と平安をもって祝福して下さいますように。
あなたは夜の恐ろしい物をも、昼に飛んでくる矢をも恐れることはない。また暗やみに歩きまわる疫病をも、真昼に荒す滅びをも恐れることはない。(詩篇九一篇五、六節)
神がわたしたちに下さったのは、恐れの霊ではなく、力と愛と健全な精神の霊なのである。(第二テモテ一章七節 KJVからの和訳)