静かな細い声

八月十一日 静かな細い声 (二〇一二年八月 ひとしずく九一四)...

荒れ地を天国に

八月十日 荒れ地を天国に(二宮尊徳に学ぶ) (二〇一二年八月 ひとしずく九〇九)    一番下の娘と散歩しながら、私の母校である小学校跡を訪ねてみました。建物はもうないのですが、今でも思い浮かべることができます。あそこに花壇があって、あそこはトイレ、それからあそこが宿直室、その手前に校舎・・・。娘に語るともなく私はつぶやいていました。校庭のグラウンドは、現在この地域の老人会の方たちが、ゲートボールのために使っています。...

まことの光を見つめて

八月八日 まことの光を見つめて (二〇一二年八月 ひとしずく九〇六)  昨夕、息子が村の獅子舞の前に、棒使いの演 技をするというので、他の子供たちと一緒に公民館の前の広場に見に行きました。それは、その地域に伝わる伝統的な踊りで、最近は演じる人が少ないからというので、村の人に頼まれて息子が引き受けたものでした。練習時間が短かった割には意外と上手に踊れていたと思います。お盆に帰省した若者たちも多く参加して、とても賑やかでした。...

若い時のくびき

八月七日 若い時のくびき (二〇一二年八月 ひとしずく九〇〇)   自分の子供たちを見ていると、色々と大変な時期を通過している子供たちがいます。その試練を取り除いてあげられたら、という親の同情心が湧きますが、ただ祈り主に委ねるしかない時もあります。 考えてみると私も悩みや問題多き若者でした。 若い時というのは苦悩の多い時期なのかも知れません。「若い」の「若」という漢字は、「苦しい」の「苦」という字に似ていると誰かが言っていましたが、なるほどと思います。...