天への進級

八月二一日 天への進級 (二〇一四年夏 ひとしずく一六一四) 最近、親しかった人たちが、この世での旅路を終え、天のふるさとへ帰られました。人の命がいかに儚いかを思って悲しくな りますが、 私たちの行くべき先が素晴らしい天国であることを思うと、希望が与えられます。主は素晴らしい約束をいくつもしてくださっています。   兄弟たち よ。わたしはこの事を言っておく。肉と血とは神の国を継ぐことができないし、朽ちるものは朽ちないものを継ぐことがない。...

霊に生きる

八月二十日 霊に生きる (二〇一二年八月 ひとしずく九一五) 主なる神は土のちりで人を造り、命の息をその鼻に吹きいれられた。そこで人は生きた者となった。(創世記二章七節) 神の命が吹き入れられて、人は、生きたものとなった。つまり、人は神の命の息が吹き込まれるまでは、生きたものとなることはなかった。神様は無から有を造られる方。 何もないところに星と太陽と月を造りそれを天体にかけられた。 そして地球を美しく造られ、生き物をそこに棲まわせた。神様は、何でもおできになる。 そうでなければ神様ではない。神様には、時間も原料も必要ない。...

偉人たちに囲まれて

八月十九日 偉人たちに囲まれて (二〇一四年夏 ひとしずく一六一〇)  ルカの福音書を読んでいると、弟子たちが何度も、誰が偉いかということで議論していたことがわかります。ルカ九章には、 次のようにあります。 弟子たちの間に、彼らのうちでだれがいちばん偉いだろうかとい うことで、議論がはじまった。(ルカ九章四六節) また同じルカの福音書の二二章には、次のようにあります。 それから、自分たちの中でだれがいちばん偉いだろうかと言っ て、争論が彼らの間に、起った。(ルカ二二章二四節)...

愛しているからこそ

八月十八日 愛しているからこそ (二〇一四年夏 ひとしずく一六〇九)  息子のYは、今、色々な面で忙しくしています。畑仕事、薪切り、また近所の人が病気で動けなくなるとそこへ行って、小屋の中を整理したり、重いものを運んだりと、とにかく毎日忙しく働いています。  最近、この息子が廃材を扱っていた時、釘を踏んでしまいました。厚底の作業靴を持っているので、それを履いていれば良かったのですが、普通の長靴で作業をしていたので、釘が足に刺さったのです。何とか手当をして、大丈夫だったのですが、痛い目に遭いました。...

解放

八月十七日 解放 (二〇一四年夏 ひとしずく一六〇八)  私はクリスチャンになる前はひどい恥ずかしがり屋でした。人が自分をどう思うかが気がかりで、赤面恐怖症だったのです。そういう面で、私にとってはあらゆることがつらいことでした。特に音痴でもあったので、音楽の歌のテストの時は、それはそれは大変でした。...