ある枕木のつぶやき

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2023年8月31日

八月三一日 ある枕木のつぶやき(二〇一一年)

ミーティングの場所に来る前に、2,3日泊めさせてもらった場所がありました。

それは、広く、枯れた草が覆っている荒野の中に、赤茶けた岩の山を 背景に小さな緑の芝生と木々に囲まれたところにある「山小屋」というロッジでした。そこは、わたしが夢に描いていた場所でした。わたしは自分の住んでいるところが、何か心に安らぎをもたらすような雰囲気をかもし出すことができないかと、思っていましたが、今ついにそうした場所を見つけたように思えるのです。

 そこに入ったらあかたかもアフリカの住居という感じがしますが。それでいて、山小屋風です。この場所を造った人は本当に芸術家と思いました。色合いといい、また家具と建物との調和といい、とても、芸術的でした。なによりも、アフリカに来たという気持ちにさせてくれました。そして、それば かりではなく、そこにはいったとたん、タイムとラベルして、古い懐かしい思いにさせられました。

 後で、聞いてわかったのは、それらの家具やまた部屋は、一度棄てられた廃材を使って造られたということでした。そこで使われていたほとんどの材料は、百年も前にカナダから取り寄せられた木材で、何年もそれらは南アフリカの国内を走る汽車の枕木、駅のベンチ、ドアなどに使われていた材料だったのです。それが、近年、古くなったということで、ゴミとして、棄てられていたのだそうです。

しかしこの大工さんというか、芸術家は、それら の廃材をいろんなところから寄せ集めました。そしてそれを自分のところに持ってきては、きれいにし、再生して使っていたのです。

 わたしの部屋をちょっと紹介します。一つ一つの部屋がとても「既成品」とはかけ離れた感じで造られています。

まず、わたしが机として使っているベッドサイドですが、天板は、古い板です。五枚並べられてしっかりとしたものです。色がこげ茶色。そして、ベッ ドはでっかいもので、とってもシンプルなデザインですが、がっしりしていて、これも、こげ茶に塗られています。ペンキはほとんど剥げ落ちて木の素肌が見えます。木の個性を引き立てられていて手を触れていたい感じです。ベッドとしては、つい最近作られたのでしょうが、使われている木材には、たくさんの傷あとがあって、長い年月使われていた材料だったのがわかります。壁は、コンクリの上に、ベージュ色のペンキが塗られています。

わざとハケの筋が縦に、ばっちり見えて、粗雑な感じがしますが、それが、壁のそばにいると、気を張り詰めていなくていいんだという気持ちにしてくれます。天井はトタン板に赤こげ茶色のペンキが塗られています。そしてそれを濃いこげ茶色の六本の太い丸太でサポートしている感じです。ドアは、赤茶色。がっしりしたドアです。床は、レンガ 色の正方形の一片二十センチくらいの石が、敷き詰められています。

鏡がありますが、その鏡の枠は幅十五センチもある板で縁取られています。其の板も、 古い木材で、くすんだ緑の色のペンキがところどころ剥げて、こげ茶色の木肌が見えます…。窓は窓枠なしの窓で、ガラスがただ、はめ込まれていて縦に金属の棒が、侵入者を防ぐようにつけられています…全体が「レトロ」の写真にも使われている「土」色が基調色です。

人が無用のものとして棄てた廃材からこんなに素晴らしい芸術品を作り出すことができるなんて…

この家に入って、使われている材料が、何一つ、しっかりとした既製の材料ではなく、「経歴、歴史」をもった材料、釘穴、ボルトの締め付けた痕、 腐って欠けた部分、一部、色が剥げ落ちた塗装…しかし、全体として、全く調和のとれた部屋を作り出しています。

たとえばここでは、鉄道の古い枕木、 ベンチに使われていた古い木など、普通棄てて置かれている材料が見事にうまく使われています。

 それらの穴や変形してしまった形、そして欠けたところが、うまく他の部分と調和していて、かえって、その材料でなければという気持ちにさえなります。この部屋の作りに感動していたら、次のようなストーリーが湧いてきました。

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わたしが、緑の山から切り出されたとき、きこりの話していた言葉を思い出す

「こいつらは、遠く、海を渡って、どこかの国の鉄道の枕木や、駅を造るために使われるんだとさ」

「こんなに丈夫でしっかりした木は、そこの国じゃ手に入らないそうだからな」

それを聞いて、わたしたちは誇りに思った。

そして、切り倒され、遠く海を渡って、着いた国で、

また短く切られ、そして横たわった

そして、自分たちはここが、「お前たちのたどり着いた場所だ」と言って、

鉄道工員たちが、ごつごつした石地の上に置いたわたしたちを太い釘を刺し貫いた

痛くても、本望だった。わたしたちは誇りを持っていた

すぐに自分たちの使命が何であり、またどれだけの困難を味わうことになるかわかった

来る日も来る日も、わたしたちは横たわり、重い鉄道を支える。

汽車が通る時、石とレールの間にさらに締め付けられる。

雨の日も暑く照りつける日も容赦なく

仕事は続く

それでもわたしたちは誇りを持っていた。その重くのしかかるレールの上に

大勢の人たちが乗っている客車があるということを知っていたから

その地の人たちを乗せている列車はそのレールとわたしたち枕木を信頼しているのを知っていた

わたしたちは、自分の使命に生きた

何年も、何年も全ての季節を

しかし、何十年もの後、私たちのその長年の使命が終わる時が来た。

わたしたちに両側に深く差し込まれていた太い釘は、引き抜かれた。

レールに押し付けられた傷あとと、私たちをささえていた石地のあとが深く残った

もちろん、釘のあとも

わたしたちは、運ばれ、他の仲間たちと一緒に、廃材置き場に山として捨て置かれた

そして何年も過ぎた。

わたしは使い果たされたのだ

わたしの有用性もこれでおしまいだ

無用の存在なら消えてなくなろう

しかし、塗られたタールのおかげで、朽ち果てるにも簡単には朽ちることもできない

自分の生まれそだった森に、きこりがやってきて切り倒されたとき

自分たちがこんな運命になるなんて、誰が想像できただろう。

しかし、わたしの務めは終わっていなかった。

ある時、(今の)わたしの主人がわたしたち、捨てられた山を通りすぎた

彼は建築士だった。

じっと見つめていた彼の目には、

わたしたちが再び使われて、生き返る姿が見えていた

彼は私たちを買い取った。

そして彼の仕事場に連れてきた。そこには、何十何百という

わたしの仲間たちが待っていた

駅の待合室のベンチに使われていた板

わたしと同じ枕木

チケット売り場の扉

客車の屋根に使われていた材料

皆同期の者たちだった

わたしたちは、その国を栄えさせ

人々が行きかうのを助け

出会いを助け

安全を確保していた

それが、長い間棄てられていたが、

今、この新しい主人である、建築士の心には

一つのプランがあった

私たちを使って、

人々が憩う場所を造るんだと

わたしたちは驚嘆した

わたしを使うって?

「わたしは傷だらけの枕木です。見苦しく、真っ黒にタールで塗りつけられています」

「いいや、お前をわたしは使って、部屋と部屋の間の鴨居にしよう」

「でも、この色はどうするのですか?」

「わたしにはお前の黒が必要だ」

「でも、このボルトの丸い穴はどうするのですか?」

「わたしはそのままのお前をつかおう」

そしてこの主人は大きな居間から台所に入っていくところの仕切りの上のかもいに使った。最も人の目に目立つ場所に

わたしのそばに長い間一緒に棄てられていたベンチに使われていた木が、言っていた。

わたしは、何十年も、人をわたしの上に座らせて、彼らが待ちくたびれた時、休ませてあげたものよ。

でも、見て御覧。当時は美しかったわたしのペンキも剥げ落ち、今はばらばらになって、こんなふうに棄てられてしまったわ。

しかし、今彼女たちは、その幾分剥げ落ちたペンキをそのままに、彼らは家中の家具の材料として使われている。

ここに来る者たちは皆、驚嘆して言う、「なんて素晴らしく家具と部屋が調和しているんだ!」と

客車の丸屋根は、その穴を修理されて、今はポーチの屋根に

チケット売り場のドアは、家の玄関ドアに。まちまちな廃材は、削られてイスや、テーブルに使われている

しかし、わたしたちの主人は、普通の人なら、見下すわたしたちの弱さ、たとえば、穴が開いているとか、傷があるとか、捻じ曲がっているといったそれらを、恥とはされず、かえってそれがこの家にやってくる人によく見えるように、飾りたててくれた。

主人曰く「それは、お前たちが、生涯人に仕え、役立ってくれた、栄誉の傷だ。どうしてわたしがそれを隠すべきなのか。お前たちは、栄誉ある者たちだ。だから このように、傷を受けたお前たちをみなの前で褒め称えるのだ。」

 普段の自分たちの社会での生き方について考えさせられました。社会では、一生懸命、規格品の基準に達そうとして、多くの努力が為されています。社会の基準といっても、 人が作り出した基準です。それに到達しようとして、また其の中でも、傷一つなく、完璧であるために、たくさんの努力が為されています。

 誰も完璧で、罪を犯すことのない者はいないと聖書にありますが、自分の不完全さ、弱さ、もろさに目を留めていると、一体自分は、生きていて何の 役に立つのか、誰も自分を必要としている者はいない。かえっていないほうが、みんなの役に立つといった、希望のない、惨めな考え方にはまってしま うことになってしまう時があります。

しかし、この部屋とそこに置かれている家具に使われた材料が、それらの傷や、

開けられた穴、また圧力で曲げられてしまったいびつさ、もろい部分が欠け落ちてしまった素材が、そんなにも美しく用いられていることは、何か希望を与えてくれます。

傷だらけの人生を振り返ると、これで何に使われるというのかという悲観な思いも人生の建築アーティストの手によって、希望が与えられます。私たちを美しく用いられる建築アーティストは、もちろんイエス・キリストです。彼は御自分の傷をもってわたしたちを、美しくされた方です。

 しかし彼はわれわれのとがのために傷つけられ、われわれの不義のために砕かれたのだ。彼はみずから懲しめをうけて、われわれに平安を与え、その打たれた傷によって、われわれはいやされたのだ。 (イザヤ 五三章五節)

傷のことを考えると、イエスがトマスに、十字架につけられた時に、釘で、刺し貫かれた、ご自分の手の傷を示した場面を思い出す。神様はイエス を死から蘇られた時、傷をなくされなかった。傷は、いとうべき ものではなく、それは、主のわたしたちに対する愛のしるしであり、それゆえに栄誉を受けるべきものです。

わたしたちは、人生の中で、避けたくても受けてしまう傷があります。人から誤解され容赦なく裁かれることから受ける傷、信頼していた者から、裏切られたと感じて受ける傷、挫折困難で受ける傷…しかし、それら全ての傷も、神様のさらに深い素晴らしい計画のうちに使われる傷。わたしたちはそれらの傷を受けて終わりではない。わたしたちの人生と心の偉大なる建築者であり芸術家であられる神は、わたしたちのための特別なご計画を持っておられ、傷を受け たわたしたちの人生という材料を、どこで、美しく輝かせるかということをよくご存知なのです。

十二弟子のひとりで、デドモと呼ばれているトマスは、イエスがこられたとき、彼らと一緒にいなかった。

ほかの弟子たちが、彼に「わたしたちは主にお目にかかった」と言うと、トマスは彼らに言った、「わたしは、その手に釘あとを見、わたしの指をその釘あとにさし入れ、また、わたしの手をそのわきにさし入れてみなければ、決して信じない」。

八日ののち、イエスの弟子たちはまた家の内におり、トマスも一緒にいた。戸はみな閉ざされていたが、イエスがはいってこられ、中に立って「安かれ」と言われた。

それからトマスに言われた、「あなたの指をここにつけて、わたしの手を見なさい。手をのばしてわたしのわきにさし入れてみなさい。信じない者にならないで、信じる者になりなさい」。 トマスはイエスに答えて言った、「わが主よ、わが神よ」。

イエスは彼に言われた、「あなたはわたしを見たので信じたのか。見ないで信ずる者は、さいわいである」。 (ヨハネ二十章二四~二九節)

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