ほんとの空、ほんとの人生

八月三十日 ほんとの空、ほんとの人生 (二〇一四年 ひとしずく一五九〇)

東北自動車道の安達太良(あだたら)SAに、安達太良山を展望できる場所があります。そしてそこの案内板には、 「ほんとの空の里」と書かれています。これは高村光太郎の「智恵子抄」から引用した言葉で、智恵子にとっては、故郷の安達太良山の上に広がる空こそが、本当の空だということです。

そういえば、私は那須に来るまでは、空は何かとても遠いもののように思っていました。でも、那須で毎日空を眺める生活が始まった時、空ってこんなに表情豊かで、毎日毎時違うものなのかと感動して見ていました。高原の空はとても近く感じられ、天上におられる神様の心が空の模様となって映し出されているような気がしてくるのでした。以前には知らなかった空・・・そして私にとって、これがいつまでも仰ぎ見ていたい空、本当の空だと思いました。

いつもかすみがかかったような空に慣らされると、空の存在にさえ気づきにくくなるような気がします。それは、とても残念なことです。ただ目を上げるだけで、神様の偉大さを実感するような空を神様は造られたのに、空がとても遠くに感じたり、空の表情がいつもどんよりしたモノトーンに見えると、空を見てもそれが伝わって来ないのです。

智恵子さんは、東京の空を見上げながら、故郷に広がる本当の空を見たいと求めていました。それは自分が生まれ育った故郷 に対する特別な思いも あったからなのでしょう。ここに立って美しい空を眺めていると、必死にこの本当の空を求めていた智恵子さんの思いが伝わってくるようです。

私はふと思いました。私たちは、人生について、また人間関係についても、本当のあり方を必死に求めているだろうかと。人生も人間関係についても、いつのまにかこんなもんなんだとあきらめてしまって、本物ではない生き方、あり方に甘んじてしまっているところがあるのではないかと思います。周りを見ると、大多数の皆も、疑問に思っているようには思えない様子、これで良いのかと思うことさえ、何かとんでもない疑問を持ち上げているよ うな気がしてくるのです。しかし、これが本物の人生と言えるのか?これが本物の生き方と言えるのか?という問いは、価値のある問いではないかと思います。

いつの間にかあきらめてしまった人生、馴れ合いで納得し受け入れてしまった人間関係・・・。智恵子のように、あるいはあの裸の王様の本当の姿を、正直に口にした男の子のように、現状に対して、「こんなの変だ」「私はそうは思わない」「本物の人生を生きたい」とい思いと願いを持つ時、神様は私達の心を目にかけておられると思います。神様は、私達に、私達が歩むようにと意図されたほんとの人生とその素晴らしいほんとの価値に気づかせたいと願っておられると思うのです。

 ほんとの人生とそのほんとの価値がどれだけ素晴らしいものであるかを知らせるために、神様は天から御子を地上に使わして下さいました。神様の私達に対する愛が、私達の人生が素晴らしいもの、かけがえのないもの、御自分が命を捨ててでも救ってやりたいと思うほどの価値あるものであると示してくださいました。

わたしたちがまだ弱かったころ、キリストは、時いたって、不信心な者たちのために死んで下さったのである。正しい人のために死ぬ者は、ほとんどいないであろう。善人のためには、進んで死ぬ者もあるいはいるであろう。

しかし、まだ罪人であった時、わたしたちのためにキリストが死んで下さったことによって、神はわたしたちに対する愛を示されたのである。

わたしたちは、キリストの血によって今 は義とされているのだから、なおさら、彼によって神の怒りから救われるであろう。

もし、わたしたちが敵であった時でさ え、御子の死によって神との和解を受けたとすれば、和解を受けている今は、なおさら、彼のいのちによって救われるであろう。

そればかりではなく、わたしたちは、今や和解を得させて下さったわたしたちの主イエス・キ リストによって、神を喜ぶのである。(ローマ五章六~十一節)

 わたしは、神様がわたしのために意図し、私が生きるようにと計画してくださったほんとの人生を日々、生きているだろうか?

神はそのひとり子を世につかわし、彼によってわたしたちを生きるようにして下さった。それによって、わたしたちに対する神の愛が明らかにされたのである。(第一ヨハネ四章九節)

わたしたちは神の作品であって、良い行いをするように、キリスト・イエスにあって造られたのである。神は、わたしたちが、良い行いをして日を過ごすようにと、あらかじめ備えて 下さったのである。(エペソ二章十節)

他の投稿もチェック

神の小さな声に従う

九月二九日 神の小さな声に従う (二〇一一年十月 ひとしずく六〇一)  福島でお米を作っている農家の人がテレビに出ていました。ちょうど、放射能の暫定規制値以下で、出荷できるという知らせが届いたばかりの農家の人たちの反応でした。  ある農家の人は、満面笑顔で感激していました。どんどんお米を作れると。 しかし、ある農家の人は、規制値以下だとわかっても「言葉にできない複雑な気持ちです」と言って、これから続けるかどうかわからないというようなことを話していました。  ...

大志を抱いて

九月二八日 大志を抱いて (二〇一二年 ひとしずく六〇〇)  江戸幕府の支配が終わろうとしていた時、日本は、不安と混乱の最中にありました。新しい時代には、先人たちが築き上げて来た文化と伝統だけでは、立ち行くことはできないと、誰の目にも明らかでした。西洋諸国に比べ、日本がどれだけ立ち後れているかを知って、焦りや諦めを持つ人も多かったことと思います。...

命のパン

九月二七日 命のパン (ひとしずく五九九)...