新たな力を求めて

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2023年8月26日

八月二六日 新たな力を求めて (二〇一四年夏 ひとしずく一六二〇)

主は時に応じて力を与えてくださいます。

一つの仕事、一つの区切りを終えたら、休むことが大切ですが、休むことには、ただ体を休ませるということ以上の意義があると思います。何かを成し終えた後、主の御許に行くことは、主に感謝し、主を褒め称えること、また、新しい仕事、奉仕の前に、主を認め、全ては主のため、主の力で主の愛に満たされて、ということを主の霊との交わりの内に確認する時であると思います。

東京から秋田へ向いながら、三日後に控えている田沢湖でのキャンプのために「しなければならないリスト」が頭を駆け巡っていました。二日間でそれらのことをしなければならず、それを考えるだけで圧倒されてしまいます。

しかし、それを成す事が主の御心であるのなら、主が責任を持って成してくださるのです。

主は圧倒されそうな私に、幾つかの聖句を思い起こさせてくださいました。

あなたは知らなかったか、あなたは聞かなかったか。

主はとこしえの神、地の果の創造者であって、弱ることなく、また疲れることなく、その知恵ははかりがたい。

弱った者に力を与え、勢いのない者には強さを増し加えられる。

年若い者も疲れ果てて倒れる。しかし主を待ち望む者は新たなる力を得、わしのように翼をはって、のぼることができる。

走っても疲れることなく、歩いても弱ることはない。(イザヤ四〇章二八~三一節)

恐れてはならない。わたしはあなたと共にいる。驚いてはならない、わたしはあなたの神である。わたしはあなたを強くし、あなたを助け、わが勝利の右の手をもって、あなたをささえる。(イザヤ四一章一〇節)

力は、天地を造られた主から来ます。ですから、主によって強められる必要があります。今しようとしていることは、主の望まれていることであるのなら、主はこんなにも疲れている私にも、力を与えてくださるに違いないと信じます。また準備の期間がどんなに短くても力不足であっても、主は必ず助けてくださるはずです。私は、今日までの疲れを引きずって、新しいことに向うことはできませんし、それをする必要はないのです。主は、新たな力を得るようにしてくださっているのですから。

私のすることは、まず、主の御許に行き、静まり、休むことです。弱った者に力を与えてくださる神を褒め称えます。

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