八月二五日 生きている間に (二〇一四年夏 ひとしずく一六一九)
肉体から離れた魂は
私たちに聞こえる声で語りかけることができない。
彼は今、私たちに何を語りたいのだろう?
写真の中の彼はほほ笑んでいる。
どうしようもない肉体の疲れや苦悩から解放されて
今は本当に、この写真のように、心から喜んでいるのだろう。
病院を訪問したのが彼との最後の会話だった。
私が帰る時、寝巻き姿で病院から出て、わざわざ私を見送ってくれた。
「今度、秋田に来てください」
私がそう言うと、彼は嬉しそうにほほ笑んでいた。
来月の8月にと思っていたけれど
もっと早く秋田に連れて行けばよかった。
人生の卒業がこんなにも早く迫っていたなんて・・・。
思えば、あまり心の内を彼から聞き出していなかった
何を考えて、何が望みで、何が悩みだったのか。
この世を去る前に、何か言いたかったことは無かったか。
微笑む彼の写真を見て、心に色々な思いが巡ってくる。
今、彼がイエス様の胸の中にいて、平安と喜びに満たされているのはわかる。
そして、それが私にとってのせめてもの救い。
しかし、ああ、彼の気持ちをもっと理解できていたら、と思う。
彼のためにもっと何かしてあげられることはなかったか・・・。
生きている間に・・・。
あなたがたは、あすのこともわからぬ身なのだ。あなたがたのいのちは、どんなものであるか。あなたがたは、しばしの間あらわれて、たちまち消え行く霧にすぎない。(ヤコブ四章十四節)
あなたがたによく言っておく。わたしの兄弟であるこれらの最も小さい者のひとりにしたのは、すなわち、わたしにしたのである… あなたがたによく言っておく。これらの最も小さな者のひとりにしなかったのは、すなわち、わたしにしなかったのである(マタイ二五章四〇、四四節)