「お盆」の始まり

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2023年8月12日

八月十二日 「お盆」の始まり (二〇一一年八月 ひとしずく五四二)

 お盆ということで、檀家となっているお寺のお坊さん(女性)が、秋田の母の所にやって来て、仏前でお経を唱えてくれました。彼女は私が幼稚園に通っていた時の先生で、とても懐かしく少しの間話をしましたが、すぐ次の家に行かなければならず、帰って行きました。この時期は日本のどこでも、お盆の行事が行われたり、墓参りやそのために里帰りしたりする人も多くいますが、改めて、お盆がどれだけ日本人にとって、重要な年中行事であることかと実感しています。
 私はちょうど最近、どのようにしてお盆が始まったかということが書かれた興味深い本を読んでいたので、ここに紹介したいと思います。<ジョン・M・L・ヤング著「徒歩で中国へ」>
イエス様の昇天後、12使徒の一人、トマスの宣教を皮切りとして、インドや中国等の東方の国々への宣教活動が幾世紀にも渡って、熱心なクリスチャンによってなされてきました。この宣教活動に熱心な教会は、「東方教会」とも、また中国では「景教」とも呼ばれていました。しかし彼らは一般にネストリウス派と呼ばれ、当時のローマカトリックからは異端視されていました。しかし東方教会(景教)は、ローマカトリックが指摘していたような問題教義を持っていたわけではなく、当時の権力者にとって煙たがられる存在になりつつあったために、異端というレッテルを貼られてしまったということでした。
 このクリスチャングループは、唐の時代の皇帝と、仏教徒の侍従を前に、福音を中国語で説明するという大仕事に挑んだりもしたようです。 
 唐の皇帝はある時、景教徒が、死者のために祈りを捧げるという話を聞いたそうです。それで彼は、その宣教師たちに、先立った5代にわたる先祖達のために祈ることができるか、と尋ねたそうです。実は、迫害を受けている同胞の保護のために、このクリスチャンたちは必死の祈りを捧げていたのですが、この宗教は死者、つまり先祖のために祈ることができるという誤解が生じたようです。元々中国は先祖礼拝が、仏教が入る前からなされていたと言われています。
 宣教師らは、聖書の言葉から、確かに死んでしまった人に対しても影響を与える力が、自分たちに授けられているという結論に至り、そうすることにしました。そして皇帝は、クリスチャンのこうした奉仕、また他の教義の面においても、次第に好意を持つようになっていったようです。
 それに対して、側近としての地位を奪われるのを恐れた仏教徒らは、新しい考えを思いつきました。それは、皇帝の7代に遡る先祖のために、49日に渡って祈るということでした。そして彼等はそのための特別な寺院さえも建てたのです。今、日本でも葬儀と言えばほとんどが仏教式で行いますが、元々の仏教では、死とは汚らわしいものと考えられていたために、僧侶が死者に関わりを持つことはありませんでした。従って、仏教の僧は、葬儀はもちろんのこと、死者のために祈ったりすることもなかったのです。これらはすべてクリスチャンたちとの権力争いの中で、始まったことでした。余談ですが、極楽も、地獄も魂も、恵みによる救いも、いやしも、元々、日本に伝わる以前の原始仏教の教えにはなかったものでした。これらはすべて、キリスト教や他の宗教の教えを取り入れたものなのです。(こうした東方に広がった福音の教えは、ラマ教、イスラム教にも取り入れられました)
 ところで、この唐の時代に、弘法大師(空海)、伝教大師(最澄)が仏教の教えを習得するために中国に渡りました。そして彼らが、滞在していた寺の真向かいには、景教(キリスト教)の寺院があり、そのキリスト教徒の僧から、空海は、仏典の文字サンスクリプト語を学びます。そして、空海や最澄は、聖書の教え、恵みによる救い、また天国の存在なども、毎日長い間共に時間を過ごすこととなった、こうした景教徒(クリスチャン)の僧から学ぶことになったことは、容易に想像できます。結局、日本に伝えられた仏教は、新しい仏教、つまり元々の仏教とは似ても似つかないものとなったわけです。
こうして、仏教にそれまで無かった「お盆」、死者のために祈るという風習が日本に誕生したということです。
 日本独特の仏教行事と思われる「お盆」についての意外な背景でした。この話が何らかの形で、皆さんの証しに役立てて頂けることを願っています。
 <今、今回の冊子を編集するにあたり、ワクチンによって家族を失った遺族会の方々のイベントに参加すべきかどうか、迷っています。遺族の方々と一緒のデモがあり、そここで、僧侶の方々と一緒に、私は十字架のついたショールをかけて行進してくれないかということです。参加するなら、遺族の方々への証のため、参加しないなら、宗教同一化の誤解を避けるため(人は、容易に宗教は皆同じと受け取り易い)です。リスクが大きいのですが、宗教ではなくイエス様のことをお伝えする機会を逃すべきではないという思いです。愛する者の死を悼む気持ちは同じですが、救いの道はイエス・キリストです。御心がなされますように --二〇二三年六月>

この人(イエス)による以外に救はない。わたしたちを救いうる名は、これを別にしては、天下のだれにも与えられていないからである」。 (使徒行伝 四章十二節)

(イエスは語られた)「恐れるな。わたしは初めであり、終りであり、 また、生きている者である。わたしは死んだことはあるが、見よ、世々限りなく生きている者である。そして、死と黄泉とのかぎを持っている。 (黙示録一章十八節)

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