八月十一日 静かな細い声 (二〇一二年八月 ひとしずく九一四)
(イエスより:)わたしに波長を合わせなさい。わたしはあなたに語り、ささやきかけているのだから。わたしは、決してあなたを離れずあなたを捨てない。そして今も、いつもあなたに語りかけている。そう、永遠の命は、あなたがたの内に宿っており、あなたがたの希望であり、また力だ。私に目を留めていなさい。わたしの内に命はあるのだから。その命で満たされなさい。求めなさい。わたしのところにその永遠の命がある。わたしの言葉は命であり、霊である。人は、命を求めて聖書を読むが、その聖書はわたしについて証しをするのである。しかし、命を得ようとわたしのもとに来ようとしない。あなたにささやく私の言葉に耳を傾けていなさい。謙遜の内にわたしにつながっていなさい。生きているのは、あなたではなく、私であると言えるようになりなさい。それによって、人々がわたしのもとに来ることができるように。それぞれが私のささやく声を聞いている。
自分の思いを捨てて、わたしについてくるようにとささやく声を。
しかし、自分のプライド、自分のやり方、考え方、
また自分自身を完全にわたしに委ねるということをしたくないために、
それに耳を傾けようとしない。
自分を持ち続けたい、
自分を失いたくない、
自分を失ってしまったら自由がどこにあるのだろう、と思ってしまうのだ。
しかし、自由はまさに、完全に 自分を私に任せてしまうまでは体験することはできない。
自分について何も考えない状態、
自分を救うために何もしなくていい状態、
ただ全てを任せること、
わたしの霊と私の支える力に任せること、
この譲渡しきった状態、
それこそが私の力を発揮する時だ。
水の上に浮かぶために、浮く努力を放棄してはじめて、
あなたの体は浮くということを 実感できる。
それは解放である。
わたしはあなたに耐え切れない重荷を負わせない。
わたしはあなたが何でできているかを知っている。
わたしに任せなさい。私があなたと 共に歩み、あなたを支えるから。
あなたの愛がどれだけのものであるか、私に対する愛の大きさの証しとなるために、
わたしはあなたが孤独の試練と逆境、困難の試練を通過するのを許すこともある。
しかし、わたしはひと時もあなたを離れることはしない。わたしのために生きようとしているあなたを一人残して、立ち去るなどと思ってはいけない。
わたしはあなたを決して、恵みのない状態に残すことはしない。
あなたの手をわたしの手に委ねなさい。わたしと共に歩みなさい。今日のことでわたしに信頼しなさい。わたしこそが、一人一人の心の中のことを知っている者であり、わたしこそがあなたがたを通して為し遂げたいことを知っている者なのだから。
さあ、わたしのささやきに耳を傾けなさい
「・・・静かな細い声が聞えた。」(列王上十九章十二節)