八月九日 助け合うなら強い! (二〇一二年八月 ひとしずく九〇七)
朝、畑に着くや、母が「おや、隣はもうトウキビを片付けたんか?」と言いました。普通だったら、この辺ではこれからトウモロコシが採れる時期なのですが、隣の畑には一本も残っていなかったのです。 少し奇妙に思いながらも、私は「そうだね、もう収穫したんじゃない?早いね」と言いながら、畑仕事に取りかかろうとしていました。するとすぐに、その畑の持ち主が現れ、声をかけてきました。 彼は、普段から母親に親切にしてくれ、また私たちに色々なことを教えてくれる人です。その彼が言った言葉に、私は一瞬耳を疑ってしまいました。
「昨夜、ここに熊が出たんです よ。」
「エーッ!こんな所にまで熊が!?」彼が私たちを手招いたので、半信半疑で、彼の畑に入り、彼の指さすところを見ると、何と畑の土が大きく丸くへこんでいる所がありました。どうやら、熊がここに座ってトウモロコシを食べたらしいのです。 その丸くへこんだところを見ると、大きいお尻の跡だとわかります。その周りに残された足跡もまた大きいものでした。
熊に食い荒らされたトウモロコシは、また熊が来るといけないので、根元からきれいに刈り取られていました。
気の毒に思い、うちの畑でできたトウモロコシを分けてあげたのですが、彼がどんなに熱心に畑の世話をする人か知っていたので、彼が笑いながら話していても、悔しいだろうなと同情せずにはおれませんでした。 彼はそんな悔しさをひとつも見せずに「もしかしたら、今度は熊がお宅の畑に行くかも知れないから、まずはお伝えしようと思って」と私たちの心配をしてくれていたのでした。そして、彼は町の人たちのためにも、消防署に連絡し、朝方すぐに、熊出没の警戒の町内放送が流されたということでした。しかし、それが、まさかうちの畑の隣だったとは・・・。
何とここは苦労の多い所なのでしょう?この辺りは、冬の深い雪の困難だけでなく、熊の被害や危険もある所です。 散歩していて、熊とバッタり出会って、襲われることもあり得ます。
それで、この町の人たちは、熊に襲われないように、熊についての情報を、連絡し合い、 注意し合い、雪の季節と同じように、互いを気遣って助け合うのです。
こうした互いへの思いやりと協力があるので、厳しい自然の中で安全に暮らすことができるのだとつくづく思いました。また 逆に、こうした思いやりや団結が維持されているのは、そういった脅威にさらされている所であるからこそなのだと思います。
今、私たちは誰もが、雪でも熊でもない、大変厳しい社会の脅威にさらされて生きていると言えると思います。この社会の脅威においても、互いへの思いやり、協力、団結がなければ、平安に幸せに生きていくことは困難なことでしょう。
私たちは「助け合うなら強く、分裂するなら立ち行かない」のです。私たちが、このことを覚え、主の愛と思いやりによる絆を築き、それによって強くなることができますように。
もし国が内部で分れ争うなら、その国は立ち行かない。また、もし家が内わで分れ争うなら、その家は立ち行かないであろう。 (マルコ三章二四、二五節)
あなたがたは神に選ばれ、聖なる者とされ、愛されているのですから、 憐れみの心、慈愛、謙遜、柔和、寛容を身に着けなさい。互いに忍び合い、責めるべきことがあっても、赦し合いなさい。主があなたがたを赦してくださったよ うに、あなたがたも同じようにしなさい。
これらすべてに加えて、愛を身に着けなさい。愛は、すべてを完成させるきずなです。 また、キリストの平和があなたがたの心を支配するようにしなさい。この平和にあずからせるために、あなたがたは招かれて一つの体とされたのです。
いつも感謝していなさい。キリストの言葉があなたがたの内に豊かに宿るようにしなさい。
知恵を尽くして互いに教え、諭し合い、詩編と賛歌と霊的な歌により、感謝して心から神をほめたたえなさい。そして、何を話すにせよ、行うにせよ、すべてを 主イエスの名によって行い、イエスによって、父である神に感謝しなさい。(コロ サイ三章十二~十七節)