八月三日 愛は力 (二〇一四年八月 ひとしずく八九五)
人の心は病苦をも忍ぶ、しかし、ひしがれた心に、だれが耐えるだろうか (箴言一八章一四節 新改)
どんな時心が、うちひしがれるだろう?
自分が愛されていないように感じる時
また自分が必要としている人が
いなくなってしまった時だろうか?
反対に、心に力が与えられるのはどんな 時だろう?
それは愛を感じた時
また愛のために生きる時
今日一日、生きる力が湧いてくる
愛することは神様の戒しめだから
人が愛の内にいる時
神様の御心にあって
神様は力と
喜びを与えてくれる
作物を一心に作る農夫の心にも
愛する人を待つ恋人の心にも
子どもを見守る親の心にも
愛が宿る
神が宿る
命が宿る
愛は神であり
神は命だから
愛のうちに生きる時
神が共におられ
命と喜びがあふれる
今日と言う日は愛するために
そして、命を喜ぶためにある
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自分を顧みず
相手を気遣う人がいる
寄付をくれた人の
洋服に虫食いの穴があった
痛みをこらえて
病人を見舞う人がいる
相手の痛みを少しでも和らげるため
相手の人の苦しみに
共に涙する人がいる
自分の悩みも忘れて
このように
いつも神の愛は
暗闇のこの世にあって
輝いている
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わたしのいましめは、これである。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。(ヨハネ十五章十二節)