主の恵みと慈しみ

八月十五日 主の恵みと慈しみ (二〇一二年八月 ひとしずく九二〇)  十八になった娘が、昨日アメリカに出発しました。アメリカにいる長女からから、夫が仕事で長い間、留守なので、一か月ほど、赤ん坊の子守りを兼ねて誰か来てくれ ないか、との要望に応えてのことでした。 親としては、いくら向こうに長女がいるとはいえ、この娘が初めて アメリカにそれも一人で行くということに、懸念がありました。しかし、彼女には長女のところに行ってくるという強い願望があり、行くこと になりました。 数年前までは恥ずかしがり屋で、あまり人前に出るのも苦手だった...

それぞれの賜物が一つに結集

八月十四日 それぞれの賜物が一つに結集 (二〇一二年八月 ひとしずく九一九)  一つのプロジェクトを成し遂げるには、大勢の人の手を要する場合があります。全ての工程を、自分一人の力や能力で成し遂げることはできません。だから、多くの人から助けをもらわなければなりません。 先日、被災者の方々のための絵本プロジェクトが始まりました。まずその始めとして、有志に 集まってもらい、美術館見学をした後に、様々な意見を聞かせてもらいました。そして、自分一人では思い付かないようなアイデアをたくさん 頂きました。...

神の目を通して見出す

八月十三日 神の目を通して見出す (二〇一二年八月 ひとしずく九一八) 花の詩画作家によって描かれた野の花 一つ一つの花に注がれる神様の愛と その愛で輝いている花たちの美しさ そして神秘さ・・・ よく見かける野の花だけれど こんなにステキなとこあったんだ 神様がこの小さな花たちをどれほど気遣い 美しく装ってくださっているかに驚かされる きっと詩画作家の彼が神様の目を通して これらの花を見て、それを表現してくれているからなのだろう 花の美しさは、いつまで見ていても飽くことがない しかし、イエス様はこう言われた...

「お盆」の始まり

八月十二日 「お盆」の始まり (二〇一一年八月 ひとしずく五四二)  お盆ということで、檀家となっているお寺のお坊さん(女性)が、秋田の母の所にやって来て、仏前でお経を唱えてくれました。彼女は私が幼稚園に通っていた時の先生で、とても懐かしく少しの間話をしましたが、すぐ次の家に行かなければならず、帰って行きました。この時期は日本のどこでも、お盆の行事が行われたり、墓参りやそのために里帰りしたりする人も多くいますが、改めて、お盆がどれだけ日本人にとって、重要な年中行事であることかと実感しています。...

静かな細い声

八月十一日 静かな細い声 (二〇一二年八月 ひとしずく九一四)...

荒れ地を天国に

八月十日 荒れ地を天国に(二宮尊徳に学ぶ) (二〇一二年八月 ひとしずく九〇九)    一番下の娘と散歩しながら、私の母校である小学校跡を訪ねてみました。建物はもうないのですが、今でも思い浮かべることができます。あそこに花壇があって、あそこはトイレ、それからあそこが宿直室、その手前に校舎・・・。娘に語るともなく私はつぶやいていました。校庭のグラウンドは、現在この地域の老人会の方たちが、ゲートボールのために使っています。...

まことの光を見つめて

八月八日 まことの光を見つめて (二〇一二年八月 ひとしずく九〇六)  昨夕、息子が村の獅子舞の前に、棒使いの演 技をするというので、他の子供たちと一緒に公民館の前の広場に見に行きました。それは、その地域に伝わる伝統的な踊りで、最近は演じる人が少ないからというので、村の人に頼まれて息子が引き受けたものでした。練習時間が短かった割には意外と上手に踊れていたと思います。お盆に帰省した若者たちも多く参加して、とても賑やかでした。...

若い時のくびき

八月七日 若い時のくびき (二〇一二年八月 ひとしずく九〇〇)   自分の子供たちを見ていると、色々と大変な時期を通過している子供たちがいます。その試練を取り除いてあげられたら、という親の同情心が湧きますが、ただ祈り主に委ねるしかない時もあります。 考えてみると私も悩みや問題多き若者でした。 若い時というのは苦悩の多い時期なのかも知れません。「若い」の「若」という漢字は、「苦しい」の「苦」という字に似ていると誰かが言っていましたが、なるほどと思います。...