神の本質<9>

神の本質<9> 神についての研究 (ichthys.comでオンラインでも入手可能) ロバート・D・ルギンビル博士著 7. 神はいのちです(申命記30章20節後半; 第一サムエル2章6節; ヨブ記10章12節, 33章4節; 詩篇16章8-11節, 36章9節; エレミヤ10章10節; ヨハネ1章4節, 3章16節, 5章26節, 6章57節, 11章25節, 17章3節; 使徒行伝3章15節; 第一テサロニケ1章9節; 第一ヨハネ1章1-2節, 5章20節後半; 黙示録1章18節)...

イエス・キリストの救いの御業-パート3

イエス・キリストの救いの御業-パート3 聖書の基本4 https://ichthys.com/4A-Christo.htm ロバート・D・ルギンビル博士著 II. イエス・キリストの救いの御業 <iii> 3. 無制限の贖罪<a>: すべての人が救われることが神の願いであり(エゼキエル18章23節; マタイ18章14節; ヨハネ12章47節; 使徒行伝17章27節; 第一テモテ2章4節; 第二テモテ2章24-26節; 第二ペテロ3章9節;...

口の言葉

ひとしずく748-口の言葉何を語ろうとしているのか?それを語る必要があるのだろうか?その必要とは、自己を弁護し、相手を打ち負かすためのものなのだろうか?相手を中傷してまで、勝たなければならないほど、それは価値あることなのか?もし中傷することが、いたずらに相手の心を傷つけるだとしたら、私たちはまず第一に、 このことに関わるべきなのだろうか?私たちが神様から与えられた使命は、相手の善し悪しを言うことと何の関係があるのか?語らないと、神様の御国にとって何か損失が生じるのだろうか? 相手をあざけり、こきおろすという手段を使って、自分の...

愛と赦しをもって

愛 と赦しをもって  偉大な思想を掲げる哲学者よりも、あらゆる知識に通じている物知りよりも、自分の正義を主張する活動家よりも、人の過ち を赦し、謙遜に人の嘆きに耳を傾け、助けの手を静かに伸べる人の方が、はるかに人の心に訴える力を持つように思えます。それはきっと神様 の力が働いているからなのでしょう。  自分の考えや知識をひけらかし、また自分の正しさを主張したくなるところが、多かれ少なかれ人にはあると思います。しか し、私たちは皆、不完全で、過ちをよく犯し、ただ神の憐れみによりすがらなければならない存在です。...

新しいスタート

新しいスタート (2011年8月配信 ひとしずく546)  軽井沢二泊三日の最終日の午前中、子供たちが他の部屋でアクティビティーをしている間に、被災者であるお母さんたちと妻と私の7人 で、テーブルを囲んで ゆっくり話をする機会を作りました。そのお母さんの一人が、こんな胸の内を話してくれました。「私は、懺悔したいことがあります」彼女はクリスチャンでは ありませんが、余程、心に重くのしかかるものがあり、私が宣教師であることを知ってか、聞いてほしかったのでしょう。 こみ上げる涙をぬぐいながら、何とか話そうと努力している彼女の言葉を、...