神の声か、悪魔の声か

六月七日 神の声か、悪魔の声か (二〇一四 ひとしずく一五六九)  ある友人から、何が神様からの声で、何が悪魔からの声なのか、どうやって区別がつくのか?という質問を尋ねられました。   確かに実際は、アニメなどであるように、悪魔の声は必ずしも恐ろしい地獄の響きをもって聞こえてくるというわけではありあせん。悪魔は...

神の約束を信じて

六月三日 神の約束を信じて (二〇一四年 ひとしずく一五六二)  アブラハムとその子イサク、またその子のヤコブは、ユダヤ人の祖先ですが、彼らに神様は子孫が増え広がると約束されました。  アブラハムに対して: 「わたしはあなたと契約を結ぶ。あなたは多 くの国民の父となるであろう…わたしはあなたに多くの子孫を得させ、国々の民をあなたから起こそう。また王たちもあなたから出るであろう。」(創世記十七章四、六節)  イサクに対して:...

真の友

六月二日 真の友 (二〇一四年 ひとしずく一五六一)  以前、「痛みが自分の友となりました」と言って、何十年間、障害を抱え、その上 三・一一の被災にも遭った方のことを紹介しました。その方は、痛みが昼夜を問わずいつもあるために、夜もぐっすり眠ることができません。彼が、痛みを友と呼んでいたのは、その痛みから解放されることをあきらめて、痛みを抱えて毎日を過ごすことを受け入れたためであったと思います。...

神は愛である

五月三〇日 神は愛である (二〇一三年 ひとしずく一二三二)  「神は愛である」(第一ヨハネ四章八節)。これは聖書に書かれている言葉です。クリスチャンであるなら誰もがよく知っており、また頻繁に引用する言葉でもあります。しかし、本当にこの意 味がわかるようになったのは、神が、実は、三つの人格(「位格」)を持っておられる方だとわかってからです。   もし神が聖書で言う父なる神お一人だけであるなら、愛は存在しないと思います。愛は、自分を与えることであり、その対象がいないなら意味を成...

神の御言葉 第三部

五月二九日 神の御言葉 第三部 (二〇一三年 ひとしずく一二三〇) □ 神経質で感情の起伏の激しいある女性が、世界的に有名な医師ホー ワード・A・ケリー博士を訪ねた。この女性は、この世の煩いのために、肉体ばかりか理性までも危機にさらされていたのだ。自分の症状を医者に 話した彼女は、与えられた処方せんにびっくりしてしまった。 「奥さん、あなたに必要なのは、もっと聖書を読むことです!」  途方に暮れた女性は言った、 「でも、先生‥‥」 ...