神様が共におられるなら小さくても大きい

神様が共におられるなら小さくても大きい (2014年3月 ひとしずく1484)  一人の少年ダビデの投げた一個の石が巨人ゴリアテを倒した。(サムエル記上17章)  一人の奴隷として連れて来られたイスラエルの少女がシリア軍の将軍ナアマンの癩病を癒す助言を与えた(列王記下5章)  一人の少年が二匹の魚と五つのパンをイエス様に捧げたので、飢えていた何千もの人たちが養われることになった。(ヨハネ6:5-13)  一人のやもめが、最後の粉と油をもって預言者を養ったので、預言者とやもめとその息子は養われた。(列王記上17:12-16)...

目に見えない御使いたち 

目に見えない御使いたち (2014年3月) 「定められた日に、ヘロデは王服をまとって王座にすわり、彼らにむかって演説をした。集まった人々は、『これは神の声だ、人間の声ではない』と叫びつづけた。するとたちまち、主の使が彼を打った。神に栄光を帰することをしなかったからである。彼は虫にかまれて息が絶えてしまった。」(使徒12:21-23) ヘロデ王は高ぶり、自分の声を「神の声だ!」と叫ぶ民衆の称賛に酔いしれていました。その時、神は使いを送って彼を打たれ、王は一匹の虫に噛まれて死んだのでした。...

震 災3年目 (–2014年3月配信)を迎えるにあたって

ひとしずく1479-震 災3年目を迎えるにあたって(2014年3月配信) 震災で愛する人を失った人たち・・・。  3年経っても、その痛みは増すばかり、と語る人がテレビに映っ ていました。そして、他界した家族が天国から自分たちを見守ってくれていると思いますと語る人も。 この三年間、被災者の方々は色々なことを通過して来られたと思います。 神様は全てのことを目的をもって計画されたのですから、きっと、今という時間の枠の中で理 解できないことが、向こうの岸に辿り着いた時、全てが...

主を待ち望む

ひ としずく354-主を待ち望む 「主を待ち望め」 聖 書にいくつも出てくる言葉です。 主 を待ち望むということは、主が介入して下さるのを信頼して待つということだと思います。 現代の社会においては、何でもすぐに成されることを要求し 合っており、それが当たり前のようになっているようです。 皆 がせわしく動き回り、お互いに急かせ合っているのです。このように、せわしい世界におかれているが故に、時間の短縮、ノルマ達成に明 け暮れるというプレッ...