愛?それとも富? 

愛?それとも富?  「ひとしずく」ーーひと昔編 あれは幻だったのかと思うことがあります・・・。 私は子供時代、父が鉱山で働いていたので、その社宅である長屋で暮らしていました。小さな玄関と二間の部屋からなる住まいが薄い壁で仕切られ、確か八世帯くらいで一棟となっていました。トイレ棟が離れにあり、お風呂は男女に分かれた共同風呂でした。台所は部屋にありましたが、水道が引かれていたわけでもなく、二棟の長屋の真ん中辺りにある、押しポンプの流しを皆で使っていました。そこに十数家族の人たちが野菜を洗いに来たり、...

ある夜の祈り

「ひとしずく」ーーひと昔編 静けさが、ただ静けさだけがほしい時計の針さえ止めて静けさを求める時を超えて永遠に生きておられる方と交わるのに、時を刻む音などほしくはないそれがどれだけ長かろうと短かろうと関係ないただ主と交わっていたい 静けさの中に天からの聖なる御声を聞いていたい 私の過去がどれだけ醜く軽蔑に値するとしても聖なる御声は神の子イエスを指し示しこう言われる「あなたはあがなわれた」と...

相手の世界に飛び込む 

「ひとしずく」ーーひと昔編 先日、たまたま居間に用があって行くと、ちょうどそこで母がテレビを見て いました。NHKのコロンビア白熱教室という番組で、私も思わず見入ってしまいました。とても興味深いものでした。 小さい時から目に障害があり、高校の時には、全盲になってしまったシー ナ・アイエンガー教授(女性)が、人の視点についての研究をしているということでした。 彼女は、アメリカ人と日本人に、海に泳ぐ魚の絵を見せてから、少し後で、...

私たちの誇りとする方

 「ひとしずく」ーーひと昔編 今日、何気なく本棚のホコリをかぶっている本を引っぱり出して、パラパラとめくっているうちに次のような箇所が目につき ました。 それはキェルケゴールの 「死に至る病」(岩波文庫)136頁の次のところです。 「キリスト教は、この個体的な人間が(したがってすべての個体的な人間、彼が日常どんな人間であろうと問題ではない、 男・女・下女・大 臣・商人・床屋・学生等々)、神の前に現存していることを教える。彼がその生涯にたった一度でも帝王と話したことでもあるとすれば、おそ らくそれを誇りと...

真理の自由に旅たつ

「ひとしずく」ーーひと昔編 私たちは普通、人の造り上げた常識や理論の枠の中で行動します。人の造り上げた価値観の中での行動です。しかし、本当にその人が、世に送られた 自分の使命を果たすには、自分の魂をその目的のために造られ、使命を与えられた神様に聞き従うほかはないのだと思います。それ以外の道には、本当の満足も、完全な平安も、喜びも、また充実感もないのではないかと思うのです。 今朝、そのことを考えていた時、ハンマー投げの絵像が浮かびました。投手がハンマーをぐるぐる回している間は、どんどん勢いがついていきます。...