私たちの誇りとする方

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2023年2月13日

 「ひとしずく」ーーひと昔編

今日、何気なく本棚のホコリをかぶっている本を引っぱり出して、パラパラとめくっているうちに次のような箇所が目につき ました。
 それはキェルケゴールの 「死に至る病」(岩波文庫)136頁の次のところです。
 「キリスト教は、この個体的な人間が(したがってすべての個体的な人間、彼が日常どんな人間であろうと問題ではない、 男・女・下女・大 臣・商人・床屋・学生等々)、神の前に現存していることを教える。彼がその生涯にたった一度でも帝王と話したことでもあるとすれば、おそ らくそれを誇りと するであろうところのこの個体的な人間、もしも彼が少しばかり高貴な地位にある誰彼と親しい関係にでもあるとすれば、それを少なからず得 意とするであろう ところのこの人間、・・・この人間が神の前に現存していて、彼の欲するいかなる瞬間にも神と語ることができ、そして確実に神から聞かれる ことができるので ある、要するにこの人間に神と最も等しい関係に生きるように申し出られているのである !そればかりではない、この人間のために、ほかならぬこの人間のために神は世に来り、人の子として生まれ、苦しみを受け、そして死んだの である、・・・こ の受難の神がこの人間に向って、彼に申し出られている救助を受け入れてくれるようにと乞うている、いなほとんど嘆願しているのである!」
 これを読んで、ある人の話を思い出していました。
 私が、先日北海道のある村を訪れた時、友人が是非O氏に会ったら いいと勧めてくれました。その方は、80歳くらいの方で、山に鹿狩りに出かけるところでしたが、吹雪いてきたため、折よく、お家におられ ることとなり、伺うことができたのでした。
 O氏は、村の中でも人々から尊敬されている方のようでした。お会 いすると、その優しさ、謙虚さ、そして勇気や剛胆さが、その人全体から溢れ出て来るのがわかりました。その人に村の歴史や色々なことを尋 ねていたら、彼がおそらく私に一番 話したいと思われる、思い出話をして下さいました。
 それはかつて、野鳥の観察のために、ある天皇家の方を近くの山にご案内し時のお話です。一生に一度でも、天皇家の方と会 話を交わし、案内して歩くことができる人は、一握りの人たちであると思います。彼はそのことをとても特別な思い出として、今まで出会う人 ごとに話しているのでしょう。
 そしてもし、私たちもOさんのような経験をしたら、やはり同じように、出会う人ごとにその話をしたいと思うに違いありません。
 さて私たちは、この地上のどの人物にも勝る、素晴らしい方を知っています。この世と全ての生命を創られ、私たちのために命を捧げてくださるほどの深い愛を持った方です。この方は、私たちと共 に日々歩んでくださり、私たちを通して働き、生きているということを知っています。そしてその方をまだ知らない全ての人に紹介することが できるのです。私たちが誇りとしているその方の名はイエス・キリストです。私は、Oさんのように、周りの人や出会う全ての人に、このイエス様さまのことを話したいと思います。それもできるだけ自然な形で紹介できたらと願っているのですが、それは普通の人を紹介するようなわけには、なかなか行かないのが現状です。
 しかし、この素晴らしき方を紹介することによって、人々の思いもよらない驚きを見たいという気持ちもあります。イエス様 は本当に驚くべき方ですし、私の人生を素晴らしく変えて下さったように、主を受け入れる全ての人の人生も同じように変えてくださいます。
   誰かと少しでも心を割って話す機会があるなら、 こんなに素晴らしい方を紹介せずに話を終わらせることなどできるでしょうか?イエス様を伝えることは、私たち主を知る者の義務と いう人もいますが、義務感というよりも、私たちは本当に素晴らしい方を全ての人に知ってほしいですし、そして神の愛に触れて幸せを味わってほしいと思うが 故に話すのです。いつもその気持ちを抱いているのなら、誰と話す時にも、当然のことのように自然とイエス様の話につながるだろうと思いま す。
   どうか、私たちが、真に偉大で、大いなる愛と憐 れみに満ち、真実な神様であるイエス・キリストを知っていることが、どんなに素晴らしい祝福であるかを忘れませんように。そしてこの喜び と祝福を、まだ主を知らない多くの人々に、愛と知恵を持って紹介できますように。それによってこの世の一人でも多くの人が、 イエス様を心に受け入れ、新しい人生を歩むことができるよう祈ります。
 わたしたちは自分自身を宣べ伝えるのではなく、主なるキリスト・イエスを宣べ伝える。(第二コリント四章五節)
 私たちは、自分の見たこと、また聞いたことを、話さないわけにはいきま せん。(使徒四章二〇節)
 わたしたちはこのキリストを宣べ伝え、知恵をつくしてすべての人を訓戒し、ま た、すべての人を教えている。それは、彼らがキリストにあって全き者として立つようになるためである。(コロサイ一章二八節)

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