昨夜、静岡の友人の家に泊めてもらい、朝、海岸を散歩しました。
ちょうど水平線から太陽が昇るところで、その光が海面に反射してとてもきれいでした。また別の方角に目をやれば、オレンジ色の朝陽を受けた富士山がそびえています。堂々としたその姿は、やはり威厳があると思いました。 しかし、この美しく穏やかにそびえ立つ富士山も、専門家らは、噴火の可能性を語っています。 目の前に広がる美しい海にしても、いつ様相を変え、津波として襲ってくるかわかりません。
自然は、神様の栄光を讃えていて、その雄大さ美しさ堅固さは神様の性質をうかがわせ、あたかも不動のものに見えます。私たちが海や山を見て心落ち着くのは、そのせいなのかもしれません。人は無意識の内に、不動のものを心の拠り所とするからです。けれども、自然は神ではなく、神の手の業に過ぎません。
不動なものは神のみです。自然という私たちをとりまく被造物も、神様の定められた時まで、立って存在するものです。
しかし、たとえこの天地が滅びようとも、主と主の御言葉は永遠に変わることはありません。 神だけが、この世で唯一の真に不動なものなのです。
朝陽に照らされた駿河湾と富士山という神秘的な風景を通して、 目を再び、不動で確かなものに向けることを霊感されました。
どうか、あらゆるものが移りゆく、この時代にあって、私たちが、いつまでも変わることのない、主とつながっていることができますように! 主の導きに従うことができますように!
神はわれらの避け所また力である。悩める時のいと近き助けである。このゆえに、たとい地は変り、山は海の真中に移るとも、われらは恐れない。たといその水は鳴りとどろき、あわだつとも、そのさわぎによって山は震え動くとも、われらは恐れない。(詩篇四十六篇一~三節)
天地は滅びるであろう。しかしわたしの言葉は滅びることがない。(マタイ二十四章三十五節)
イエス・キリストは、きのうも、きょうも、いつまでも変ることがない。(ヘブル十三章八節)