愛と赦しの力

九月二五日 愛と赦しの力 (ひとしずく五九五)

 あるトラクトに、淵田美津雄という方のお話が載っていました。彼は真珠湾特攻隊の指揮官だった人です。太平洋戦争が始まる前から、彼はアメリカに対する敵愾心に燃えており、敗戦後は、さらにアメリカに対する憎しみを募らせていました。

 しかし、そんな彼に大きな心の変化をもたらした出来事がありました。それは、同朋の帰還兵から、あるアメリカ人女性の話を聞いたことです。二十歳前後の彼女は、負傷した日本兵を看護するために、アメリカから日本にやってきたのでした。彼女の献身的な奉仕はとても輝いていて、心身とも傷ついた負傷兵を癒しました。ある人が彼女に、どうしてこんなことをしてくれるのかと尋ねると、彼女は自分の身の上話をしてくれたそうです。

 彼女の両親はフィリピンにいました。しかし、日本兵によって、斬首されて死んだのだそうです。彼女の両親は斬首される前に、わずかの時間をくれるよう日本兵にお願いしました。そして三十分ばかりの時間をもらうと、彼らは静かに祈りを捧げたのだそうです。

彼らを殺そうとする日本兵の目に、その姿はどのように映ったことでしょう。

後に、その御両親の最期を伝え聞いた娘さんは、敗戦後の日本で、負傷した帰還兵に奉仕することを決意したのでした。きっと御両親の祈りは、自分達の命を奪おうとしている日本兵らが主イエス様の愛を見出すことができるように、また残された娘さんが、日本に対して、憎しみではなく赦しの愛を持てるようにという祈りではなかったかと思います。

こうして、最期においてまで、主イエス様に信頼し、主の御心に生きようとした御両親の召天の有様は、娘さんを始め、大勢の人の人生に影響を与えることになったのでした。そして、御両親の意思を受け継いだ娘さんの行いも、多くの日本兵たちに影響を与え、この真珠湾特攻隊の指揮官であった淵田さんの人生をも変えました。恩を仇で返すという言葉がありますが、彼女は逆に、仇を愛で返したのです。彼女のそんな犠牲的で無条件の愛は、アメリカへの憎しみでいっぱいだった彼の凍りついた心を溶かしました。そして後に淵田さんは、キリストの愛を宣べ伝える伝道師となったのです。 もし、両親を殺された彼女が日本に対して憎しみの思いを抱き続けて生きていたとしたら、決して淵田さんの心を変えることはなかったことでしょう。人を赦すことの力の大きさを、改めて思っています。

憎しみは、争いを起し、愛はすべてのとがをおおう。(箴言一〇章一二節)

あなたがたも聞いているとおり、「隣人を愛し、敵を憎め」と命じられている。しかし、わたしは言っておく。敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい。(マタイ五章四三、四四節)

他の投稿もチェック

神の言葉によって

神の言葉によって 信仰によって、サラもまた、年老いていたが、種を宿す力を与えられた。約束をなさったかたは真実であると、信じていたからである。(ヘブル11章11節) 自分のうちには、力も気力ももう残ってはいないと思えても、この朽ち果てて行くからだに、もし神が御声ををかけて下さるなら、その御言葉の種が命を与えてくれることを知っています。神の御心は成し遂げられるからです。...

洪水(信仰のテスト)に備える

洪水(信仰のテスト)に備える 人生、八方塞がりのような場所に立たせられる時が、誰にでも幾度かあるのではないでしょうか? 今、もしかしたら、そうした困難に遭遇している方もおられるかもしれません。世界の情勢がますます混乱に向かっている中、人々もそれに巻き込まれたり、またそうでなくても周りを見て不安に感じ将来に対する行き詰まりを感じている人も少なくないと思います。  イエスが人々から殺されかけた時のことについての、次のように聖句があります:...

前のものに向かって

前のものに向かって わたしがすでにそれを得たとか、すでに完全な者になっているとか言うのではなく、ただ捕えようとして追い求めているのである。そうするのは、キリスト・イエスによって捕えられているからである。 兄弟たちよ。わたしはすでに捕えたとは思っていない。ただこの一事を努めている。すなわち、後のものを忘れ、前のものに向かってからだを伸ばしつつ、 目標を目ざして走り、キリスト・イエスにおいて上に召して下さる神の賞与を得ようと努めているのである。 (ピリピ 3章12-14節)...