九月二二日 備え (ひとしずく五九二)
地と海よ、おまえたちはわざわいである。悪魔が、自分の時が短いのを知り、激しい怒りをもって、おまえたちのところに下ってきたからである。(黙示録十二章十二節)
一昨日は、台風十二号で死者行方不明者合わせて約八〇人という災害があってから、ちょうど一カ月ということで、ニュースで報道されていました。三・一一の津波や台風の豪雨による土砂崩れなどの悲惨な映像を見る度に、聖書で預言されている「終わりの時」について、考えてしまいます。もちろん、私たちには主がいて下さるので、何も恐れることはなく、神の奇跡の保護と供給に信頼していることができます。しかし、それと同時に、主が最近、私に示された、もう一つ大切なことがあります。それは、私たちにできる分は私たちがしなければならないということです。たとえば、主が健康を守って下さるからといって、いつも不摂生でいるなら病気になってしまいます。また、主が家を守って下さるからといって、戸じまりもしないで出かけるなら、泥棒に入られるかも知れません。
このように、すべて主に信頼しているのだから、自分では何もしないというのは、信仰とはまた違うのです。特に、終わりの時について、またその前兆について、主が事細かに私たちに教えて下さっているのは、私たちが、霊と実際面での両方の備えをする必要があるからなのだと思います。ですから、これから起こるかもしれない、自然災害や経済崩壊に直面した場合に備えて、私たちのできる分、つまり備えをしておく必要があると思うのです。
三月の地震以来、テレビをはじめ、様々な報道機関で非常時の備えを奨励しているので、大体の非常備品は、御存知のことと思いますが、まだ、何の備えもしていないという人は、遅くならないうちに備えておいた方が良いと思います。
地震、津波などは、近い将来、またやってくると警告している学者達もいます。また放射能の対策も必要だと思います。そして経済崩壊という非常事態もあるかもしれません。
これらの大きな災害や非常事態が起きた場合、お金を持っていても、買い物して品物を手に入れるということが出来ない可能性がありますので、最低数日間、できるならひと月分の食物と水、電池、料理用のカートリッジのガスコンロは用意しておいた方が良いと思います。また車を持っている人は、常にガソリンタンクを満タンにしておくことや携帯用ガソリンタンクも用意しておいたら良いでしょう。そして、まだ、いろいろあると思いますが、これらの非常時に必要なものリストを作り、備えておいたら良いと思います。私は、これも主の御言葉に対しての信仰だと思います。つまり、主が私たちに教えて下さっている預言を信じているからこその行動だからです。自分たちにできることを忠実にしたなら、後は神様の領域であり、神様が必ず守って下さるでしょう。
また大切なのは、主に、自分たちはどんな備えをしておくべきなのか、尋ねてみることだと思います。家族構成や、住んでいる場所によっても、備えがそれぞれ異なるからです。備えは非常道具だけに限らず、危険な場所に住んでいる人たちは、主が、どこかに移動するように語られる場合もあるかも知れません。
とにかく、主に聞き、主に従い、主の御心の場所にいるなら、それこそが世界で一番安全な場所だと思います。そしてもちろん、主は、災いの最中でも、奇跡を行って保護と供給を下さるという信仰を強める霊の備えがもっと大切であることは言うまでもありません。
最後に、主の奇跡の保護と供給に関しての聖書のお話をいくつか、思い出していただき、これが信仰の励ましとなるよう祈っています。
城壁の町、エリコが神によって滅ぼされようとしていた時、遊女ラハブと彼女の親族は、奇跡的に救い出されました。(ヨシュア記六章)
シャデラク、メシャク、アベデネゴは、燃える炉の中に投げ込まれましたが、炎は彼らに燃え尽きませんでした。(ダニエル三章)
モーセとイスラエルの民は、エジプト軍の追手がありましたが、紅海の水を分けて進んで行くことができました。(出エジプト記十四章)
‹二〇二三年八月 怠慢や、主に聞こうとしない態度、またわかっているのに何もしないといいう態度は祝福されません。主に従うことを優先して、できる分をし、そしてあとは主に信頼するということだと思います。主との交わりのうちに留まり、主に聞き従えますように! 今朝デボーションに読んでいた、次の聖句が励ましとなりました。›
主は全き者のもろもろの日を知られる。彼らの嗣業はとこしえに続く。 彼らは災の時にも恥をこうむらず、ききんの日にも飽き足りる。 (詩篇三七篇十八、十九節)