勝利を得る

 九月二〇日 勝利を得る (二〇一四年 ひとしずく一七〇〇)

 黙示録二章、三章には、七つの教会に宛てられた主からのメッセージが書かれています。それによると、七つの全ての教会に「勝利を得る者には」という言葉があります。そして、それぞれにとって何が勝利かということは、各教会によって異なります。つまり、これはそれぞれが目指すべき勝利というものが、個々にとって違うということではないでしょうか。何を主が私達に取り組ませたいかは、主を求める必要がありますし、主に耳を傾ける必要があります。もしかしたら、七つの教会に宛てられたメッセージの中に自分に当てはまることがあるかもしれません。

「耳のある者は、御霊が諸教会に言うことを聞くがよい」とそれぞれの教会に宛てて語られていますが、私達は「聞く耳」をもって聞く必要があります。

私達は、「勝利」という言葉に秘められたニュアンスが好きでない場合があります。何故なら、勝利には、報いが伴うものの、勝利を得るためには、戦いがあり、克服する必要があり、おそらく簡単なことではないと感じるからです。

そして、主の私達に言われている勝利は、自分が今まで積み上げてきたものを手放したり、未知の世界に足を踏み入れることである場合が多いのです。さらに主に信頼し、さらに肉の目に頼らず、神の言葉に信頼するという冒険です。それには代価がかかります。

 黙示録二章と三章で言われている七つ教会へは、次のようなチャレンジや勧告がありました。「初めの愛に戻る」「死に至るまで忠実である」「サタンに立ち向かう」「世と妥協しない」「目をさましていて、他を力つける」「自分の持っているものを堅く守る」「生ぬる」でいない…どの教会に宛てられた勧めの言葉も、中途半端な態度では、生きる事のできないものです。勝利は大変だと感じてしまいがちです。

 しかし、こうした言葉の前にたじろいでしまう前に、一つ、勝利を私達に下さったイエス様のことを考えてみたいです。

「感謝すべきことには、神はわたしたちの主イエス・キリストによって、わたしたちに勝利を賜わったのである。」(第一コリント十五章十七節)

主は、私達の罪との大きな戦いに、私達が勝利できないので、主が私達のために勝利を得て下さいました。なんという深い愛でしょうか! この愛の神は、また私達が歩むベき地上の人生の道を自ら歩まれ、生き方を示してくださっています。主は、「私は道である」と語られ、模範を示されました。(ヨハネ十四章六節)

キリストも、あなたがたのために苦しみを受け、御足の跡を踏み従うようにと、模範を残されたのである。(第一ペテロ二章二一節)

また蘇られた主は、今も私達を励まし、絶えずとりなし、力を与えて下さっています。

だれが、わたしたちを罪に定めるのか。キリスト・イエスは、死んで、否、よみがえって、神の右に座し、また、わたしたちのためにとりなして下さるのである。(ローマ八章三四節)

主は、私達が信仰によって主に従う時、主は絶えず、目をとめ、私達のために祈り続けていて下さるのです。

彼は、いつも生きていて彼らのためにとりなしておられるので、彼によって神に来る人々を、いつも救うことができるのである。(ヘブル七章二五節)

「いつも」という言葉に留意して下さい。

また聖霊もそうです。

御霊もまた同じように、弱いわたしを助けて下さる。なぜなら、わたしたちはどう祈ったらよいかわからないが、御霊みずから、言葉にあらわせない切なるうめきをもって、わたしたちのためにとりなして下さるからである。(ローマ八章二六節)

ですから、私達は、主が私達に望まれている勝利が何であれ、肉の力で得ようとする代わりに、罪に打ち勝つ勝利を下さった主に、さらに信じて求めることをすべきなのだと思います。

 (祈り:)主よ、あなたの私(個人)に求めておられること、また勝利をするようにと求めておられることを、時々、知りたいとも思わない態度になってしまいがちです。なぜならそれには戦いを要し、困難であると思えるからです。しかし、主よ、私達は、あなたの力と知恵に依り頼みます。決して離れず、絶えず私達のために取りなし続けるあなたの愛に依存したいです。自分のうちにそのような力もガッツもないと思えますが、あなたが勝利を賜って下さい。あなたが奇跡をして下さるのを見させて下さい。あなたの前に、具体的な勝利が何であるかを明確に知り、そしてそのことで、あなたが勝利を賜るという奇跡を期待することができますように!

すべて神から生れた者は、世に勝つからである。そして、わたしたちの信仰こそ、世に勝たしめた勝利の力である。(第一ヨハネ五章四節)

他の投稿もチェック

主が共におられる

ひとしずく799-主が共におられる 時々、試練の最中にあると、主は共にいてくださらないように感じることがありませんか?そして、主が共にいてくださるのなら、こんな災難や試練が起こるわけがないし、起こったとしてもすぐに助け出してくださるはずだと、不平と疑いを抱いてしまうことが・・・。 旧約聖書にあるヨセフの話はとても興味深いものです。...

義に飢え渇く者

ひとしずく1559-義に飢え渇く者 (2014年配信) 最近、Dさんに十何年かぶりに再会しました。今、彼は単身赴任 で、福島の相馬で働いています。以前、私たちの聖書クラスに来ていましたが、彼が九州に引っ越しして以来、会う機会はありませんでした。 しかし、彼が東北に来て、先月から月に 一回、私が那須にいる時に、聖書を一緒に学ぶために、彼は公休日前の日に一泊の泊りがけで相馬から那須にやってきます。仕事が終わってか ら車で来るので、那須に到着するのが夜の9時...