「ひとしずく」ーーひと昔編
先日、自治会長さんがボランティアに来てくださった学生達に、私たちの村についての興味深い歴史を話して下さり、特に私は、「堰」の話を興味深く聞かせて頂きました。
この地域の田んぼを潤し、冬は流雪溝となる、この村の堰を、私は宝だと思っています。
会長さんの説明はとても面白いものでした。まず、私たちの村からは、縄文弥生時代の生活を偲ばせる色々なものが発見されており、古い時代から稲作がなされていた形跡もあるというお話から始まりました。私たちの村にある川は、村から四十メートルから五十メートルも下を流れていて、ポンプのない時代には、稲作をするのも大変だったようです。
自治会長さんは、その稲作に必要な水を、どうやってこの村に引いていたと思うか、という質問を学生達にしてから、堰の説明をし始めました。
その水の取り入れ口は、私たちのいる所から5キロから6キロも離れた場所にあるそうです。そして崖っぷちの所はどうしても堰をつくることができず、その部分は山の岩をくり抜いて水路を作ったことから、穴堰と呼ばれているということでした。
ずっと昔に造られたその堰が、幾世代もの時を越えて、田畑を潤し、人々の生活になくてはならないものとなってきてくれたのです。
この堰を計画し、造り、労してくれた人々、また維持し、改善するために労してくれた人たち、そして今も、夏も冬もこの堰を見回ってくれる人たちがいます。堰の途中で、ゴミが溜まったり、破れそうになったりしていないかを調べて歩くのです。
多くの人たちが、こうした尊い犠牲を払ってきてくれました。そのお蔭で、私たちは今もその恩恵を受け継いでるのです。
しかし、過疎化、高齢化の進むこうした村では、時間をかけて造り上げてきた大切なものを、守り管理をする人が、年々少なくなっています。今では、あって当然となっているこの堰の存続も、このままだと危うくなっていくかもしれません。
会長さんのお話を聴いて、改めて先人達、また現在管理のために労してくださっている方々に、心からの感謝の気持ちが湧いてきました。
何よりも、こうした自然の豊かさを人々がうまく活用して、生活を営んでこれたのも、神よりの恵みと慈しみとによるものです。神様に感謝です。
主は川を野に変らせ、泉をかわいた地に変らせ、肥えた地をそれに住む者の悪のゆえに塩地に変らせられる。主は野を池に変らせ、かわいた地を泉に変らせ、飢えた者をそこに住まわせられる。こうして彼らはその住むべき町を建て、畑に種をまき、ぶどう畑を設けて多くの収穫を得た。
詩篇一〇七篇三三~三七節