来るべき永遠の時代のために

j
2023年9月23日

九月二三日 来るべき永遠の時代のために (ひとしずく 五九三)

 –啓発してくれるお話です–

あるお金持ちがいました。

彼は、回心して天国に行くことになりましたが、地上で貯えた金を残して行くのがどうしても惜しくて、天国の入り口で、その門番の天使に「どうか金の延べ棒のいく本かだけでも持って行かせてください」とお願いします。

天使は、あまりにも必死にお願いするので、それを天国に持って入ることを、特別許可しました。

しかし天国に足を踏み入れるや、天国の住民から、こう尋ねられたそうです。

 「それは何だい?」

 「これは金ですよ。ほら、私が地上で、生涯働いて貯えた財産です。地上では、もっとたくさん持っていたんですよ」

 「どれどれ、見せてください」

 金持ちは誇らしげにそれを見せました。

 すると天国の住民はこう言いました。「どうして、道路の敷石なんか持ってきたんだい?」

見ると天国の道は、純金で造られていて、建物はダイヤモンドやあらゆる種類の美しい宝石でできていたのでした。–お話の終わり

イザヤ二章には、来るべき時代、天国のことが書かれています。

多くの民は来て言う、『さあ、われわれは主の山に登り、ヤコブの神の家へ行こう。彼はその道をわれわれに教えられる、われわれはその道に歩もう』と。律法はシオンから出、主の言葉はエルサレムから出るからである。

彼はもろもろの国のあいだにさばきを行い、多くの民のために仲裁に立たれる。こうして彼らはそのつるぎを打ちかえて、すきとし、そのやりを打ちかえて、かまとし、国は国にむかって、つるぎをあげず、彼らはもはや戦いのことを学ばない。ヤコブの家よ、さあ、われわれは主の光に歩もう。(イザヤ二章三~五節)

 何という素晴らしい時代でしょう。人々は、主の教えを求め、その教えに生きるようになるのです。そして戦争も武器もなくなるのです。現代では、神様の存在すら否定し、人々は利己的に、好き勝手な道を歩んでいます。貧しい者、弱い者はしえたげられ、人々は互いに傷つけ合い、争いごとや戦争、そして様々な問題が絶えません。しかし、このような邪悪な時代に終止符が打たれ、イエスを信じる者には、新しい時代がやって来るのです。この世の価値観が、全く逆転するその時が。

   その日には目をあげて高ぶる者は低くせられ、おごる人はかがめられ、主のみ高くあげられる。(イザヤ二章十一節)

 私たちは、神ではなく、自分を誇るために、この世のものを何よりも価値あるものとして、求め、生きてきたことを恥じるようになるでしょう。金銭、地位、名誉、学歴、容姿、才能、知識など、自分が誇っていたこれらのものは、神に喜ばれない「しろがねの偶像」「こがねの偶像」だと知ることになり、それらのものは、主の御前で、全て捨て去ることになるのです。

その日、人々は拝むためにみずから造ったしろがねの偶像と、こがねの偶像とをもぐらもちと、こうもりに投げ与え・・・(イザヤ二章二十節)

素晴らしい永遠の天国に比べたら、この世は、ほんの一瞬に過ぎません。この世の欲にかられ、大切なこの人生を無駄に過ごすことがないように、しっかり自分の心の泉を守り、日々、永遠に続く価値あるもののために、生きることができますように。

この世とこの世のものを愛してはいけません。もしこの世を愛するならば、父の愛はその人の内にありません。すべて世にあるもの、肉の欲、目の欲、生活の誇りは父からのものでなく、この世からのものです。そしてこの世とこの世の欲とはすぎさります。しかし神の御心を行う人は永遠に生きます。(ヨハネ二章十五~十七節)

   自分の宝を地上にたくわえるのはやめなさい。そこでは虫とさびで、きず物になり、また盗人が穴をあけて盗みます。自分の宝は、天にたくわえなさい。そこでは、虫もさびもつかず、盗人が穴をあけて盗むこともありません。あなたの宝のあるところに、あなたの心もあるからです。(マタイ六章十九~二一節)

わが子よ、わたしの言葉に心をとめ、わたしの語ることに耳を傾けよ。それを、あなたの目から離さず、あなたの心のうちに守れ。それは、これを得る者の命であり、またその全身を健やかにするからである。油断することなく、あなたの心を守れ、命の泉は、これから流れ出るからである。(箴言四章二〇~二三節)

他の投稿もチェック

クリスマスの奇跡 -8

祈りの答え クリスマスの奇跡 パート八 (ひとしずく一三九七) そこに立っていたのは外人と日本人の二人でした。彼らは、しきりに「ハレルヤ!」と賛美を繰り返していました。ちょっと変わった人たちだと思いましたが、明るくて好感が持てました。 彼らがクリスチャンであることは、すぐにわかりましたが、当時の私は、自分が最も正当派の教会に属していると自負しておりましたので、彼らを受け入れはするものの、上から目線で彼らのことを見ていたと思います。...

クリスマスの奇跡 -7

12月5日 恩返し クリスマスの奇跡 パート七 (ひとしずく一三九六)  Aさんは、私のことをマッちゃんと呼んでいました。突然現れた彼は、アパートの戸を開けるなり、「マッちゃん、泊めてもらいたい人がいるんだけど、いいかな?」と尋ねました。(外は雪が降っています。) 私は咄嗟に「ああ、いいよ」と答えました。きっと彼は、私の所に来るのも気まずかったに違いありません。しかし、それでも私の所に来て、宿がなくて困っている人を泊めてほしいと頼みに来たのでした。Aさんの友人でも知り合いでもない人たちのために。...

クリスマスの奇跡 -6

12月4日 必死の祈り クリスマスの奇跡 パート六 (ひとしずく一三九五) あなたがたのうち主を恐れ、そのしもべの声に聞き従い、暗い中を歩いて光を得なくても、なお主の名を頼み、おのれの神にたよる者はだれか。(イザヤ五十章十節)  真っ暗闇の中で、どんなに必死に祈っても、祈りなど聞かれないように思える時があります。この時の私はまさしくそんな状態でした。しかし、そんな時でもやはり私たちの嘆きと叫びと呼び求める声に耳を傾けてくださっている主がおられるのです。...