この方によって・・・

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2023年9月16日

 九月十六日 この方によって・・・ (二〇一四年 ひとしずく一六九三)

人生の意味と目的を探しているなら、 この方のことを深く知ることなしには、的を外したものになってしまうと私は思う。

この方は、御自分が造られた世界にやって来られ、権威をふるうことをせず、被造物の一つである人間の姿になられて地上を歩まれた。

人から捨てられ、嘲られながらも、なお愛のために生きられた。

彼は、その「御足の跡に踏み従うよう」私たちにその模範を示された。

それは、私たちの喜びが満ちあふれるための道。

この世が決して与えることのできないもの。

世が騒ぎ、動転しても、変わらない平安の道。

そう、彼の生き方は、この世の力に依存しない生き方であった。

それは、むしろ、この世から蔑まれ、あざけられる生き方。

しかし、彼の生き方とその言葉は、今も、暗闇の世にあって、光を放つ。

天と地と命を造られ、全てに目的を与えられ、ご計画を持っておられる方。

この方を深く知り、また、この方に従うことの中に、

喜びと平安、愛と希望、幸せがある。

この方の名は、イエス・キリスト。

わたしたちの聞いたことを、誰が信じえようか。主は御腕の力を誰に示されたことがあろうか。

乾いた地に埋もれた根から生え出た若枝のようにこの人は主の前に育った。

見るべき面影はなく輝かしい風格も、好ましい容姿もない。

彼は軽蔑され、人々に見捨てられ多くの痛みを負い、病を知っている。

彼はわたしたちに顔を隠し

わたしたちは彼を軽蔑し、無視していた。

彼が担ったのはわたしたちの病 

彼が負ったのはわたしたちの痛みであったのに

わたしたちは思っていた

神の手にかかり、打たれたから彼は苦しんでいるのだ、と。

彼が刺し貫かれたのはわたしたちの背きのためであり

彼が打ち砕かれたのはわたしたちの咎のためであった。

彼の受けた懲らしめによってわたしたちに平和が与えられ

彼の受けた傷によって、わたしたちはいやされた。

わたしたちは羊の群れ

道を誤 り、それぞれの方角に向かって行った。

そのわたしたちの罪をすべて主は彼に負わせられた。

苦役を課せられて、かがみ込み

彼は口を開かなかった。

屠り場に引かれる小羊のように

毛を切る者の前に物を言わない羊のように

彼は口を開かなかった。

捕らえられ、裁きを受けて、彼は命を取られた。

彼の時代の誰が思い巡らしたであろうか

わたしの民の背きのゆえに、彼が神の手にかかり命ある者の地から断たれたことを。

彼は不法を働かずその口に偽りもなかったのに

その墓は神に逆らう者と共にされ富める者と共に葬られた。

病に苦しむこの人を打ち砕こうと主は望まれ

彼は自らを償いの献げ物とした。

彼は、子孫が末永く続くのを見る。

主の望まれることは彼の手によって成し遂げられる。

彼は自らの苦しみの実りを見それを知って満足する。

わたしの僕は、多くの人が正 しい者とされるために彼らの罪を自ら負った。

それゆえ、わたしは多くの人を彼の取り分とし

彼は戦利品としておびただしい人を受ける。

彼が自らをなげうち、死んで罪人のひとりに数えられたからだ。

多くの人の過ちを担い背いた者のために執り成しをしたのはこの人であった。

(新共同訳 イザヤ五三章一~十二節)

もしだれかが、不当な苦しみを受けても、神を仰いでその苦痛を耐え忍ぶなら、それはよみせられることである。

悪いことをして打ちたたかれ、それを忍んだとしても、なんの手柄になる のか。しかし善を行って苦しみを受け、しかもそれを耐え忍んでいるとすれば、これこそ神によみせられることである。あなたがたは、実に、そうするようにと召されたのである。

キリストも、あなたがたのために苦しみを受け、御足の跡を踏み従うようにと、模範を残されたのである。キリストは罪を犯さず、その口には偽りがなかった。ののしられても、ののしりかえさず、苦しめられても、おびやかすことをせず、正しいさばきをするかたに、いっさいをゆだねておられた。

さらに、わたしたちが罪に死に、義に生きるために、十字架にかかって、わたしたちの罪をご自分の身に負われた。その傷によって、あなたがたは、 いやされたのである。

あなたがたは、羊のようにさ迷っていたが、今は、たましいの牧者であり監督であるかたのもとに、たち帰ったのである。(第一ペテロ二章十七~二五節)

    わたしは、新しいいましめをあなたがたに与える、互に愛し合いなさい。わたし

があなたがたを愛したように、あなたがたも互に愛し合いなさい。(ヨハネ十三章三四節)

イエスは彼に答えて言われた、「もしだれでもわたしを愛するならば、わたしの言葉を守るであろう。そして、わたしの父はその人を愛し、また、わたしたちはその人のところに 行って、その人と一緒に住むであろう。(ヨハネ十四章二三節)

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