九月一日 絶やすことなく (二〇一四年 ひとしずく一五三一)
主は、モーセを通してイスラエルの民に神への礼拝のための定めを示されましたが、その中に次のような部分があります。
あなたが祭壇の上にささぐべき物は次のとおりである。すなわち当歳の小羊二頭を毎日絶やすことなくささげなければならない。 その一頭の小羊は朝にこれをささげ、他の一頭の小羊は夕にこれをささげなければならない。一頭の小羊には、つぶして取った油一ヒンの四分の一をまぜた麦粉十分の一エパを添え、また灌祭として、ぶどう酒一ヒンの四分の一を添えなければならない。他の一頭の小羊は夕にこれをささげ、朝の素祭および灌祭と同じも のをこれに添えてささげ、香ばしいかおりのために主にささげる火祭としなければならない。これはあなたがたが代々会見の幕屋の入口で、主の前に絶やすことなく、ささぐべき燔祭である。わたしはその所であなたに会い、あなたと語るであろう。(出エジプト二九章三八-四二節)
神が、律法を通して「絶やすことなく」朝に夕に人々が神に燔祭を行うことを求めておられましたが、こうした律法は、来るべきものの予型、実体の影であるとあります(コロサイ二章十七節)ので、燔祭の小羊は、来るべきあがないの供えものとなるイエス・キリストの犠牲を示していたのです。私たちは、私たちの罪のため身代わりの死を遂げられたイエス・キリストによって天の父に近づくことができるのです。
…ヨハネはイエスが自分の方にこられるのを見て言った、「見よ、世の罪を取り除く神の小羊。」(ヨハネ一章二九節)
また幕屋の中のともし火も、絶やすことのないようにと命じられました。
あなたはまたイスラエルの人々に命じて、オリブをつぶして採った純粋の油を、ともし火のために持ってこさせ、絶えずともし火をともさなければならない。(出エジプト二七章二〇節)
また幕屋の中で、絶えずともし火がともされ、夜昼、主に仕える者たちがいたことがわかります。これらは、私たちが絶えることなく、祈りと賛美のともし火をともし続けることを示していたのでしょう。
見よ、夜、主の家に立って、主に仕えるすべてのしもべよ、主をほめよ。(詩篇一三四篇一節)
どうか祈りと賛美と崇拝のともし火を、そのふさわしい方に昼も夜も絶やすことなく燃え続けさせることができますように。
新しい歌を主にむかってうたえ。全地よ、主にむかってうたえ。
主にむかって歌い、そのみ名をほめよ。日ごとにその救を宣べ伝えよ。
もろもろの国の中にその栄光をあらわし、もろもろの民の中にそのくすしきみわざをあらわせ。
主は大いなる神であって、いともほめたたうべきもの、もろもろの神にまさって恐るべき者である。
もろもろの民のすべての神はむなしい。しかし主はもろもろの天を造られた。
誉と、威厳とはそのみ前にあり、力と、うるわしさとはその聖所にある。
もろもろの民のやからよ、主に帰せよ、栄光と力とを主に帰せよ。
そのみ名にふさわしい栄光を主に帰せよ。供え物を携えてその大庭にきたれ。
聖なる装いをして主を拝め、全地よ、そのみ前におののけ。
もろもろの国民の中に言え、「主は王となられた。世界は堅く立って、動かされることはない。主は公平をもってもろもろの民をさばかれる」と。
天は喜び、地は楽しみ、海とその中に満ちるものとは鳴りどよめき、
田畑とその中のすべての物は大いに喜べ。そのとき、林のもろもろの木も主のみ前に喜び歌うであろう。
主は来られる、地をさばくために来られる。主は義をもって世界をさばき、まことをもってもろもろの民をさばかれる。 (詩篇九六篇一~十三節)
いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべての事につい て、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって、神があなたがたに求めておられることである。(第一テサロニケ五章十六~十八節)