「私は忘れてしまったよ」

七月十一日 「私は忘れてしまったよ」(二〇一二年七月 ひとしずく八三七) 「なぜなら、わたしは彼らの不義にあわれみをかけ、もはや、彼ら の罪を思い出さないからである。」(ヘブル八章十二節) 私たちの罪は、イエス様を心に受け入れ、悔い改めた時、赦されます。しかし、そうであるのに、私たちは本当に神様の赦しを信じているでしょうか?いつまでも過去の罪、あるいは今も犯し続ける罪に後ろめたさを感じ、主に近づけないでいる人もいるのではないでしょうか? これは、そんな自分の過去の罪に苛まれていたある牧師のお話です。...

真理のために立ち上がる

七月十日 真理のために立ち上がる (二〇一二年七月 ひとしずく八七一)   (愛は)不義を喜ばないで真理を喜ぶ。(第一コリント十三章六節)   第二次世界大戦後、ドイツの教会の代表者達が集まった会議の中で、ニーメラーという人が、戦時中の教会の罪について告白したそうです。以下は彼の発言です。 (「ボンへッファー紀行」村上伸著からの引用)  ...

愛の律法に生きた人 パート3

七月九日 愛の律法に生きた人 パート3 (二〇一二年七月 ひとしずく八六九) 引き続き、上杉鷹山についてです。 (インターネットから)  「貧しい農村では、働けない老人は厄介者として肩身の狭い思いをしていた。そこで鷹山は老人たちに、米沢の小さな川、池、沼の 多い地形を利用した鯉の養殖を勧めた。やがて美しい錦鯉は江戸で飛ぶように売れ始め、老人たちも自ら稼ぎ手として生き甲斐をもつことがで きるようになった。...

愛の律法に生きた人

七月八日  愛の律法に生きた人 パート2(二〇一二年七月 ひとしずく八六九) これは、上杉鷹山がその領民に宛てた教えの抜粋です(「代表的日本人」から) 「たがいに怠らず、親切を尽くせ。もしも年老いて子のない者、幼くて親のない者、貧しくて養子の取れない者、配偶者を亡くした者、身体が不自由で自活のできない者、病気で暮らしの成り立たない者、死んだのに埋葬できない者、火事にあい雨露をしのぐことができなくなった者、あるいは他の災難で家族が困っている...

愛の律法に生きた人

七月七日 愛の律法に生きた人 (二〇一二年七月 ひとしずく八六八)  内村鑑三がその著書「代表的日本人」の中で「愛の律法に生きること」、つまり当時の言葉で言えば、「徳を保つこと」こそが、神の国を地上に到来させる方法であり、制度や規則をもってではないと伝えています。 「不法がはびこるので多くの人の愛が冷える」この聖書の預言通りになっている今の社会情勢の中で、国家はますます規制、...