教会(エクレシア:呼び出された者たちの集まり)

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2023年5月20日
五月二〇日 教会(エクレシア:呼び出された者たちの集まり)(二〇一二年五月 ひとしずく八二八)
 
兄弟姉妹に囲まれているって素晴らしい
 
食物を持ち寄り、共に食べて賛美して、
次はどこどこで集まろうかって話し合って、喜びを共にする
困っている人があれば、その人のために皆で祈る
主イエスを真ん中にして、みんなが集まる
これこそ、教会だと思う
 
それぞれが、気づいたことを率先してやってくれる
それが、みんなの集まる場所に花を生けることであれ
トイレの掃除であれ、また食器の片付けであれ
しばらくやって来ない人に連絡してみることであれ
誰から言われなくても、主が御霊によってその人に促す時
その人は主の示されたことを行う
誰か、目に見えるリーダーがいるわけではない
しかし、それぞれが聖霊を持っており
聖霊を通して、イエス様が語ってくれることに従う
御霊によって結ばれ、御霊によって導かれる
これこそ、教会のあるべき姿だと思う
 
何か決断しなければならない際は、お互い連絡し合う
あるいは集まって話し合う
そして共に主に祈って導きを受ける
これこそ聖書で言っている教会だ 
 
お金をもらうわけでもなく、また強制されているわけでもなく
どんなプレッシャーも受けてはいない
ただ心にあるのは、愛ゆえに行いたいという気持ちだけ
御言葉と愛以外に、そこにお互いを結びつけるものは何もない
みな比較的最近出会った人たちで、お互いに対する義理もない
お互い気づいたことを言い合う
相手に憤慨しているために、痛めつけてやろうとか
自分の方が正しいことを証明したくて言うのではない。
それは、相手の成長を願ってのこと、相手を思う心から
反対に兄弟が何かを指摘してくれた時には、
感謝してその指導を仰ぐ謙遜さを持っている
人は皆完璧ではないし、私がしょっちゅう行っている所の集まりも、
完璧ではないが、皆が成長しようとしているのがわかる
素晴らしいの一言だ
これこそ本当の教会だ
 
私たちイエスを受け入れた者たちは皆
ただイエスの血によって赦されたのであり
皆が祭司であり、お互いに取りなし祈り合うことができる
愛において、皆が平等であり、仕え合うことができる
そういったイエスを愛する人たちの集まり
これこそが、真の教会であり
召し出された者たちの集まりなのだ
 
  あなたがたに勧める。あなたがたが召されたその召しにふさわしく歩き、できる限り謙虚で、かつ柔和であり、寛容を示し、愛をもって互に忍びあい、平和のきずなで結ばれて、聖霊による一致を守り続けるように努めなさい。
からだは一つ、御霊も一つである。あなたがたが召されたのは、一つの望みを目ざして召されたのと同様である。主は一つ、信仰は一つ、バプテスマは一つ。すべてのものの上にあり、すべてのものを貫き、すべてのものの内にいます、すべてのものの父なる神は一つである。(エペソ四章一~六節)
 
彼は、ある人を使徒とし、ある人を預言者とし、ある人を伝道者とし、ある人を牧師、教師として、お立てになった。それは、聖徒たちをととのえて奉仕のわざをさせ、キリストのからだを建てさせ、わたしたちすべての者が、神の子を信じる信仰の一致と彼を知る知識の一致とに到達し、全き人となり、ついに、キリストの満ちみちた徳の高さにまで至るためである。(エペソ四章十一~十三節)
 
<終わりの時にあたって、偽り預言者、偽りの教えが出てくるとありますが、どのようにしてそれが偽りか真理であるかを見分けるかということについては、ある人がその教えが、キリストに近づけるか、遠ざけるかで判断できるだろうと言っていました。なるほど、キリストは「真理」なので、良い物差しであると思いました>
 

こうして、あなたがたは、神に愛されている子供として、神にならう者になりなさい。また愛のうちを歩きなさい。キリストもあなたがたを愛して下さって、わたしたちのために、ご自身を、神へのかんばしいかおりのささげ物、また、いけにえとしてささげられたのである。」(エペソ五章一、二節) 

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