五月二日 「あなたの怒るのは良いことであろうか?」(ヨナ書)(二〇一二年五月 ひとしずく八〇四)
ヨナは、ニネベの町が悔い改めなければ、その邪悪さのゆえに滅びてしまうという神様からのメッセージを託された預言者でした。しかし、ヨナは神様に不従順だったので、海で大きな魚に呑み込まれてしまうのでした。そして結局三日三晩、魚のお腹で過ごしたヨナは悔い改め、神に従う決心をして魚に陸に吐き出されることになるのです。
それからヨナは、神のメッセンジャーとしての務めを果たすべく、ニネべの町に悔い改めのメッセージを伝え歩きました。すると、ニネベの人々は王から奴隷まで、その罪を悔い改めたので、神様は、裁きを下すのをおやめになったのでした。
神は彼ら(ニネベの人々)のなすところ、その悪い道を離れたのを見られ、彼らの上に下そうと言われた災を思いかえして、これをおやめになった。(ヨナ三章十節)
しかしヨナは、神様のニネベの人たちに対する憐れみ深い対処に憤慨してしまいました。
ところがヨナはこれを非常に不快として、激しく怒り、主に祈って言った、「主よ、わたしがなお国におりました時、この事を申したではありませんか。それでこそわたしは、急いでタルシシにのがれようとしたのです。なぜなら、わたしはあなたが恵み深い神、あわれみあり、怒ることおそく、いつくしみ豊かで、災を思いかえされることを、知っていたからです。それで主よ、どうぞ今わたしの命をとってください。わたしにとっては、生きるよりも死ぬ方がましだからです。」(ヨナ4章1-3節)
ヨナは、ニネベの人たちが悔い改め滅亡から免れたことを、素直に喜ぶことはできませんでした。神のメッセンジャーとして町の滅亡を伝えたのに、その通りにならなかったことが気に食わなかったのです。ヨナは神の命令には従ったものの、神の御心を全くわかっていませんでした。
そこで神様は、「あなたの怒るのは良いことであろうか」と言われ、ヨナが大切な教訓を学ぶ事ができるよう、あることをされたのでした。
そこでヨナは町(ニネべ)から出て、町の東の方に座し、そこに自分のために一つの小屋を造り、町のなりゆきを見きわめようと、その下の日陰にすわっていた。時に主なる神は、ヨナを暑さの苦痛から救うために、とうごまを備えて、それを育て、ヨナの頭の上に日陰を設けた。ヨナはこのとうごまを非常に喜んだ。ところが神は翌日の夜明けに虫を備えて、そのとうごまをかませられたので、それは枯れた。やがて太陽が出たとき、神が暑い東風を備え、また太陽がヨナの頭を照したので、ヨナは弱りはて、死ぬことを願って言った、「生きるよりも死ぬ方がわたしにはましだ」。しかし神はヨナに言われた、「とうごまのためにあなたの怒るのはよくない」。ヨナは言った、「わたしは怒りのあまり狂い死にそうです」。主は言われた、「あなたは労せず、育てず、一夜に生じて、一夜に滅びたこのとうごまをさえ、惜しんでいる。ましてわたしは十二万あまりの、右左をわきまえない人々と、あまたの家畜とのいるこの大きな町ニネベを、惜しまないでいられようか。(四章六~十一節)
神様は自己中心なヨナを咎めていますが、またそこには、ヨナ自身の成長を見守られる神様の深い愛と忍耐を察することができます。そして何よりも、その邪悪さによって滅びて当然の町や人々、また家畜さえもが、神様にとっては非常に愛しくかけがえのないものだということが感じとれます。
聖なる神様は、罪を受け入れることはできません。しかし、罪に囚われてどうしようもない憐れな罪人を愛しておられ、助けようとされるのです。神様は罪人を滅ぼすことではなく、罪を悔い改めることを望んでおられるからです。
そして、神様は預言者ヨナに、神様のような赦しに満ちた愛を持つことを望んでおられたのでした。
神様の深く寛容な愛を改めて学ばされます。そしてこれは、すぐに人を罪人として裁いてしまいやすい私たちにとっての、大切なメッセージだと思います。
わたしがきたのは、義人を招くためではなく、罪人を招いて悔い改めさせるためである。(ルカ五章三二節)
もしわたしの言った国がその悪を離れるならば、わたしはこれに災を下そうとしたことを思いかえす。(エレミヤ十八章八節)