あの時のことがあったから

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2023年1月10日

 無事、電車を乗り継いで、那須にやってきました。各駅停の電車でしたから、乗り継ぎが多く、雪の影響で、うまく乗れるかはらはらさせられる思いでしたが、幾人もの人たちに車中で、いのちのえほんを手渡すことができ、主は祝福して下さいました。

 そして、妻が調べてくれていたバスに乗り遅れずに済みました。最終バスは、午後六時前です。これに乗り遅れると、十キロの道のりを歩くか高いタクシー代を支払うことになります。わたしは遅れたら、手荷物は駅のコインロッカーにでも入れて、また歩く覚悟をしていましたから、間に合ったのは、神よりのプレゼントでした。

 私が乗ることになっているバスを確認して入ろうとすると入り口が開いていましたが、運転手さんがいません。それで、このまま入っていいかなと少 し考えて、おそらく、大丈夫だろうと思いながら、入りました。中には誰もいません。

 わたしは、乗車口近くの席に腰掛けました。すると、「支払いどうしたらいいのかな?」と言いながら、入ってくる男性がいました。その声の調子から気さくさが感じられます。目のあたりの皺からして五十代の初めか、もしかしたら四十代の終わりくらいかもしれません。

 「どうしたらいいんだろう?」と半分わたしに尋ねている声の調子だったので、わたしも「はいっちゃって大丈夫だと思いますよ。わたしもこのバス初めてなんですよ」と応えてそれから会話が始まりました。

 その男性はちょっと離れたところに座っていましたが、私と会話が始まるにつれ、わたしのすぐそばの席に腰を降ろして、彼は色々と深い話を、彼の 人生の話をしてくれました。

 きっと主がこの人に会わせて下さったのだと感じました。

 その人は、板前さんで、色々と修行していた時代はかなり厳しい親方の下で働いていたそうです。 殴る蹴られるの毎日だったそうです。殴られるというのも数回ではなく、二十回三十回が普通で、いつも身体中青いアザがあったそうです。
 
わたしは、そういう子弟関係での修行は厳しいものだと聞いていましたが、これほどのものもあるのかと驚きました。

 彼曰く「これ、普通の人が聞いたら、『暴力』そのものでしたよ」。一緒にアパート暮らしをしていた弟が、わたしの身体にできたアザや傷を見て 「兄貴、もうその仕事止めなよ」と何度も言ったもんです」。

 「では、どうして止めなかったのですか?何か理由がありましたか?」と私。
 「ええ、貧乏でしたからね。そこを止めたら、他に口が簡単に見つかるわけではないと分かっていましたから…それに…」と少し間を置いて から、「もちろん、そこで働くのが辛くて、ある夜、友達と飲んでたら、次の日、行くのが嫌になりましてね。店に病気になったから、休むという連絡を入れたんですよ。
 そうしたら、その夜、親方がわたしのアパートにやってきましてね。おい、飲みに行こう、ってわたしを誘って。すぐにバレまし た。私が病気じゃなかったってこと。

 でも、親方はそのことについては何一つ言わないで、一緒に飲んで、楽しんで、その日は遅くなったっていうことで、私のアパートに泊まって、次の 日、『オレ、帰るからな』と言って仕事に行きました。」
 
 「妻子を置いて、その日は、ただわたしと一緒に時間を過ごしてくれたんですよ。自分のズルしたことについては一言も言わないで。」

 「ええ、仕事場では厳しくて震え上がってましたが、仕事以外の時にはそんなところが見える親方でした」

 その親方のところで5年、それからあっちに行ってやってこい、そっちに行ってやってこいの3年。その間色々と免許も取らせてもらいました。

 そしてこの時勢で、親方も店で働かなくなりまして。歳でしたからね。わたしのことを気遣って、お前ならどこでもできるって励ましてくれて、大会社の日本中にあちこちある研修センターの料理の監督みたいなことをやっています。
 今、家を建てて、子供三人いますよ。あの人のおかげです。ま、あ の時のことがあったんで、止めないでついていったんですね。」と。

 その男性も同じバス停でした。いのちのえほんを手渡して、分かれました。また御心なら会うことができると思います。その方とご家族が神様の愛の素晴らしさをさらに知ることができるようにお祈り下さい。

 昨夜遅くまで、妻が見たらいいと勧められていた「ソウル・サーファー」という映画を見ていました。それはサメに腕を食べられてしまったあるサーファーの女性 がトップのサーファーになった経緯を実話を元に制作されたものでした。

 そのサーファーの姿を見て、世界中の色々な試練や困難を抱えた人たちからどれだけ励まされたかという手紙が殺到するのです。

 腕を食いちぎられた当時、クリスチャンのカウンセラーが、「後でその事故も良かったと思える時が来る」というようなことを話します。
 しかし、その試練の最中では、どうしても神様のご計画の素晴らしさや、またどうしてこんなことから善がもたらされるか、なかなか受け入れ難いものでしたが、このカウンセラーの語る言葉や励まし、またさらに困難な試練に遭遇している人たちに対して奉仕することなどにこのサーファーを指導し 導きます。

 こうしたカウンセラーや愛情深い家族の励ましがあって、彼女があきらめずにやり続けたことで、再び大会で優れたサーフィングをすることができる ようになり、後にはトップになるのです。

 記者たちに「もう一度、サメに腕をちぎられないような選択の前に立たされるとしたらあなたは、どんな道を選びますか?」といった質問をされた時、彼女は「このようになったから、大勢の人たちを励ますことができるようになったのです。わたしがこうならなかったら、できなかったでしょうから、これを選びます」というようなことを語りました。

 こうした二つの話に出会うことができて、考えさせられることがありました。

 それは試練が私たちを強くしたり、やり続ける力を与えるのではなく、 試練の中で支えてくれる神様の愛と慰めがあり、またその慰めの道具として使われるだけの器がそばにいたからだと思いました。
 
 決して捨てず、離れず、支えてくれる神様の愛が、私たちを運び、力づけてくれるのです。

 私たちは、試練の当座は、その意味も神様の愛と知恵も理解できないことがよくあります。しかし、神様は時を越えて愛の内に、すばらしいご計画を お持ちです。

 主が、試練の最中にいる一人一人を、もう一歩信頼して進む勇気と励ましが与えられますように。

 あなたがたの遭った、試練で世の常でないものはない。神は真実である。あなた方を耐えられないような試練に合わせることがないばかりか、試練と同時に、のがれる道も備えて下さるのである。(第一コリント十章十三節)

全ての試練は当座は喜ばしいものとは思われず、むしろ悲しいものと思われる、しかし、それによって鍛えられるものには、平安の義の実が結ばれるようになる。(へブル十二章十一節)

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