「ひとしずく」ーーひと昔編
今日、東京フィルハーモニーの楽団が、この地域の小学校に来て演奏をしてくれました。校長先生が応募したところ、抽選で当たって、こちらの県に数ある小中学校の中で、この地域の小学校が選ばれたということです。これは文化庁による企画で、日本の児童の文化レベルを向上させる目的だそうで、地元の大人たちもそれに便乗して聴かせてもらえるということでした。
そのことをお隣りのOさんが教えてくれて、息子と妻と私で行ってきました。
大して大きくない会場となった体育館の半分が、80人の演奏者で埋め尽くされ、残りの半分に200人以上の観客が、ござに座ったり、椅子に座ったりしていました。無料ということで、多くの人たちが演奏を聞きにきていました。
演奏の間に、子供達が指揮者を体験するという時間が設けられました。三人の小中学生があらかじめ選ばれており、指揮棒が与えられて、80人の演奏者の前でそれを振るいました。
子供達の振る指揮棒に、ベテランの演奏者達はテンポやまた音の大きさを合わせて、美しい音を出してくれました。素人考えで、私は、演奏者が皆ベテランなので、指揮者が子供であろうが、素人であろうが、誰がやっても大して変わりはないと思っていました。
しかし、それが全く違うのです。同じ曲を今度は、その楽団の専属の指揮者が指揮しました。すると、これが先ほど、子供たちが指揮したのと同じ曲かと思えるほどで、その違いは歴然としていました。
子供たちには失礼ですが、同じ曲なのに、死んでいたのが生きたものとなったような感じがしました。指揮者のタクトと体全体の動きが、演奏者全員を完全に一つにまとめて、曲を造り出しているのです。
指揮者の意志というか、霊感が、一つ一つの楽器を通して音となって現れるようでした。
これを見ていて、神様と私たちとの関係が重なりました。神は私たちの指揮者で、私たち一人一人は、それぞれ違った音色を奏でる楽器のようです。
すばらしい合奏を造り出すには、もちろん各自が、自分の楽器を美しく正確に演奏できるように、多くの訓練と練習が必要です。そして、それぞれがその美しい音色を、指揮者なる神の指示通りに奏でることによって、初めて美しい合奏が生まれるのです。
しかし、もしその中で一つの楽器でも、指揮者の言う通りにやるのはつまらないから、私のやりたいように音を出してみたいと言うことになれば、楽団全体から醸し出されるハーモニーの美しさは失われてしまいます。各自が、自分のやりたいようにではなく、指揮者と思いを一つにして、その指揮棒に従い、自分の音を奏でることによって、全体が一つとなり、美しい合奏になるのです。
私たちには、最高の指揮者がおられます。全能にして愛であられる神です。この指揮者の振る指揮棒を一心に見つめ、神の愛と真理と知恵に満ちた素晴らしいハーモニーを奏でることができますように。
霊の賜物は種々あるが、御霊は同じである。務は種々あるが、主は同じである。働きは種々あるが、すべてのものの中に働いてすべてのことをなさる神は、同じである。各自が御霊の現れを賜わっているのは、全体の益になるためである。(第一コリント十二章四~七節)
<かしらなるキリストにしっかり結びつくことによって>このかしらがもとになって、からだ全体は節々と筋によって支えられ、つなぎ合わされ、神に育てられて成長していくのです。(コロサイ一章十九節)