不安な時代のための指針  

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2022年11月22日

「ひとしずく」ーーひと昔編

 「一体、この世界はどうなるんでしょうね。不安で眠れない時もあるんです」

と、言う人に出会いました。

 この方ばかりでなく、今、世界で起っている出来事を見て、正直な気持ちを言うなら、普通は、皆、同じようなことを言うのではないでしょうか。

 放射能、地震、洪水、土砂崩れ、異常気象、疫病、犯罪、経済崩壊…どこを向いても、以前とは非常に異なった状態に、恐怖と不安を抱いても無理もないことだと思います。

 私は、その方に、聖書のマタイ二十四章から、終わりの時について、イエス様が語られたところを一緒に読んで、説明しました。「終わりの時にはどんな前兆がありますか?」との弟子達の質問に、イエス様が答えられた言葉です

 「人に惑わされないように気をつけなさい。多くの者がわたしの名を名のって、現れ、自分がキリストだと言って、多くの人を惑わすであろう。また、戦争と戦争のうわさとを聞くであろう。注意していなさい、あわててはいけない。それは起らねばならないが、まだ終わりではない。民は民に、国は国に敵対して立ち上がるであろう。またあちこちに、ききんが起こり、また地震があるであろう。しかし、すべてこれらのことは産みの苦しみの初めである…」(マタイ二十四章四〜八節)

 それを聞いた彼女は、「それは今起っていることじゃないですか?今のことについて語られているのではないですか?」と言いました。

 私もそうである可能性は高いと思います。と答えました。そして、彼女は、この混乱した暗い世にあって、私たちが持っているような平安がほしいということで、イエス様を心に受け入れたのでした。

 ところで、上に挙げられた様々な災難だけでも、非常に大変なことであるのに、イエス様は、それは産みの苦しみの初めにすぎない、と言われています。人類が通過しなければならない艱難というのは、どれほどのものであろうかと考えさせられます。

 イエス様はその終わりの時の艱難について、次のように語っています。

 「日と月と星とに、しるしが現れるであろう。そして、地上では、諸国民が悩み、海と大波とのとどろきにおじ惑い、人々は世界に起ろうとする事を思い、恐怖と不安で気絶するであろう。」(ルカ二一章二五、二六節)

 もし今、私たちが、終わりの時の前兆の時に入っているとするなら、残念ながら、これからの時代はますます大変な時、産みの苦しみの始まりから、本格的な産みの苦しみに入っていくことになります。

 そのような中で、不安と恐怖に気絶することなく、平安を持っているには、どうしたら良いのでしょう?私たちは、何を頼りに生きていったら良いのでしょう?

 感謝すべきことに、主は、私たちが、そうした暗く困難な時代において生きていくために、頼りになる約束を与えてくださっています。

 次に挙げるのは、それらの尊い約束の数々のうちの幾つかです。

一.​主は困難な時に、私たちを捨てず、共にいて助けてくださいます。困難(試練)は正確に、自分のために測られ用意されており、逃れ道も備えられています。

 わたしは、決してあなたを離れず、あなたを捨てない(ヘブル十三章五節後半)

 悩みの時にわたしを呼べ、わたしはあなたを助け、あなたはわたしをあがめるであろう(詩篇五〇章一五節)

 あなたがたの会った試練で、世の常でないものはない。神は真実である。あなたがたを耐えられないような試練に会わせることはないばかりか、試練と同時に、それに耐えられるように、のがれる道も備えて下さるのである。」(第一コリント十章十三節)

二.​この世の滅びを伝える神の言葉はまた、滅ぶことのない主の約束の言葉のことも語っており、またそれらが、私たちの歩べき道の指標となり、道を照らす光となります。

 天地は滅びるであろう。しかしわたしの言葉は滅びることがない。(マタイ二四章三五節)

 あなたのみ言葉はわが足のともしび、わが道の光です。(詩篇一一九篇一〇五節)

三.​真理ついてや、またすべてのことを教えてくれる聖霊を、求めるなら与えられます。

 

  助け主、すなわち、父がわたしの名によってつかわされる聖霊は、あなたがたにすべてのことを教え、またわたしが話しておいたことを、ことごとく思い起こさせるであろう。(ヨハネ十四章二六節)

  真理の御霊が来る時には、あなたがたをあらゆる真理に導いてくれるであろう。(ヨハネ十六章十三節前半)

  あなたがたは悪い者であっても、自分の子供には、良い贈り物をすることを知っているとすれば、天の父はなおさら、求めてくる者に聖霊を下さらないことがあろうか」(ルカ十一章十二節)

四.​永遠の命が約束されているので、死を恐れる必要はありません。

 わたしはよみがえりであり、命である。わたしを信じる者は、たとい死んでも生きる。また、生きていて、わたしを信じる者は、いつまでも、死なない。(ヨハネ十一章二五、二六節前半)

 これらのことをあなたがたに書き送ったのは、神の子の御名を信じるあなたがたに、永遠のいのちを持っていることを、悟らせるためである。(ヨハネ第一五章十三節)

五.​困難な時の保護の約束が与えられています。

  あなたが水の中を過ぎるとき、わたしはあなたと共におる。川の中を過ぎるとき、水はあなたの上にあふれることがない。あなたが火の中を行くとき、焼かれることもなく、炎もあなたに燃えるつくことがない。(イザヤ四三章二節)

  主はあなたをかりゅうどのわなと、恐ろしい疫病から助け出される」(詩篇九一篇三節)

  あなたは夜の恐ろしい物をも、昼に飛んでくる矢をも恐れることはない。また暗やみに歩きまわる疫病をも、真昼に荒らす滅びをも恐れることはない。たとい千人はあなたのかたわらに倒れ、万人はあなたの右に倒れても、その災いは近づくことはない。(詩篇九一篇五〜七節)

六.​困難な時こそ、祈りの答えも顕著となり、主は力を現してくださり、ある面では最もエキサイティングでスリル溢れる時となり得ます。

  自分の神を知る民は、堅く立って事を行います。民のうちに賢い人々は、多くの人を悟りに至らせます。(ダニエル十一章三二節後半、三三節前半)(ダニエル十一章三三~三五節、 マタイ十章二八節参照)

  賢い者は、大空の輝きのように輝き、また多くの人を義に導く者は、星のようになって永遠にいたるでしょう。(ダニエル十二章三節)

  よく聞いておくがよい。もしあなたがた信じて疑わないならば、このいちじくにあったようなことが、できるばかりでなく、この山にむかって、動き出して海の中にはいれと言っても、そのとおりになるであろう。(マタイ二一章二一節)

  わたしたちが何事でも神の御旨に従って願い求めるなら、神はそれを聞きいれて下さるということである(ヨハネ第一の手紙五章十四節後半)

七.​共に助け合う信仰の仲間がいます

  友はいずれの時にも愛する、兄弟はなやみの時のために生まれる。(箴言十七章十七節)

  天にいますわたしの父のみこころを行う者はだれでも、わたしの兄弟、また姉妹、また母なのである。(マタイ十二章五十節)

  もしわたしたちが互に愛し合うなら、神はわたしたちのうちにいまし、神の愛がわたしたちのうちに全うされるのである。(第一ヨハネ四章十二節)

 どうか、これらの揺るぎない神の約束が、皆さんの心に平安を与えてくださいますように。

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