「ひとしずく」ーーひと昔編
今日は、長いドライブの間、助手席に座っている娘のEと話をしました。
東京で一人暮らしをしているEが、たまたま休暇がとれたということで、数日前に秋田に遊びに来ていましたが、今日は東京に帰るので、ちょうどバブルクラスに東京に出発する私と、ドライブしながら:東京へ向っていたのでした。
Eとは久しぶりにゆっくりと話をする機会を持ちました。Eは何でも心にあることを正直に話してくるタイプです。そのため、会話は、よく深い話になります。
私は、あれやこれについてどう思っているか、率直に彼女から意見を聞き出します。
そして彼女の質問することについては、もう彼女には私に投げかけたい意見があるのです。
ある意見は、かなり鋭い批判のように聞こえるものもあります。それで、私は、自分のできる答えをするのですが、それでは彼女は納得いかない場合があります。それで時々、ホットな会話になってしまうのです。
しかし、本音で熱く語り合うことは良いことだと思います。その結果として、もっとお互い、そうか、そうだったのか、と思う事柄が出て来て、素晴らしい気づきに与る事ができるようになるからです。
そのためには、本当に自分の心で思っていることが何であるか、話してみないとわからないということがあります。気まずいことが起ることを避けて、気になることがあっても、決してそれを会話に持ち出さないと、その時、その場では、表向きの平和を維持できるかもしれませんが、長続きせずに、心の底では相手に対する不信感が大きくなっている場合もあります。
娘と言っても、もう大人になっているので、説得して自分と同じ考えを持たせる必要もありませんが、ただ、誤解してしまっていることについては、 説明があれば、それを抱き続けることもありません。あるいは、ある物事を一面からしか見ることができなかったことについて、話してもらうことによって、知らなかった側面を理解することができるようになります。
今日のドライブの時間の会話で、娘の言っていることについて、私も理解を深められましたし、また娘にも理解してもらったことがあったと思います。
話の最中に、意見がかなり違うなと思えることがありましたが、どうして、そのように思っているのかについては、お互いが説明できたことは良かったと思います。そしてさらに深い理解をし合う事ができ、また絆が一層強められたと思います。
このドライブの時に、良いコミュニケーションができるように、祈っていましたし、また友人にも祈ってもらいましたが、主はこの祈りに応えてくださいました。感謝です。
「こういうわけだから、あなたがたは偽りを捨てて、おのおの隣り人に対して、真実を語りなさい。わたしたちは、お互に肢体なのであるから。」
エペソ 4章25節