真の神

四月十八日 真の神 (ひとしずく一五三五)...

反キリストの霊に立ち向かう

四月十七日 反キリストの霊に立ち向かう (二〇一三年 ひとしずく一一三〇) 彼らの場合、この世の神が不信の者たちの思いをくらませて、神のかたちであるキリストの栄光の福音の輝きを、見えなくしているのである。(第二コリント四章四節) 子供たちよ。今は終りの時である。あなたがたがかねて反キリストが来ると聞いていたように、今や多くの反キリストが現れてきた。それによって今が終りの時であることを知る。(第一ヨハネ二章一八節)...

祈りの始めに

四月十六日 祈りの始めに (二〇一三年 ひとしずく一一二九)  弟子たちが、イエス様に、祈りを教えてくださいとお願いした時、イエス様が弟子たちに教えられた祈りの始まりは、「御名があがめられますように。御国が来ますように」ということでした。  この祈りから始めるということには、とても深い意味を感じます。  自分が高くされるためではなく、神様が高くされることが先ず最初に来るのです。 崇められるべきは、私の名前でも名誉でもないのです。主への賛美、何よりも高くされる方は、主であるこということです。...

とりなしの祈り

四月十四日 とりなしの祈り (ひとしずく一一二七) これは第二次世界大戦の時、東京空爆に加わり打ち落とされたひとりの軍人、ヤコブ・ディシーザーのお母さん、フルダ・アンドラス夫人に神がどのように重荷を与えて、祈りに導いてくださったかのお話です。...

無に等しき者から「有って有る」方へ

四月十二日 無に等しき者から「有って有る」方へ (ひとしずく一一二三)  無に感じることは、いいことです。私たちは実際のところ無でしかないのですから。 私たちは塵から作られたにすぎない土の器です。そして土に帰る存在です。...

ある親子の話

四月十一日 ある親子の話 (ひとしずく一一二二) インターネットで見つけたお話です。実話かどうかはわかりませんが、もしかしたら、このような人が私たちの身近にもいるかもしれません。 【大紀元日本十月十二日】 妻が四年前に事故による不慮の死を遂げ、私と息子の二人だけの生活になった。息子の世話や毎日の食事の支度に疲れ果て、仕事もうまくいかないことがよくあった。家事もうまくこなせない私と息子を見て、あの世で妻は悲しんでいるだろうか。私は父親役と母親役をうまく演じられず、何度も挫折感を味わった。...

必ず春は来る

四月十日 必ず春は来る (二〇一二年四月 ひとしずく七七五) 北日本は冬に逆戻りの寒波に襲われています。 ここ秋田の雪も、ひと月ほど前に天気の良い日が続き解け始めていたので、春ももうすぐだと期待に胸ふくらませていたのですが、また春が遠のいてしまったようで、半ばがっかりした気持ちで、なかなか来ぬ春を首を長くして待ちわびています。...

額縁の役割

四月九日 額縁の役割 (二〇一二年四月 ひとしずく七七六) ある観光地の売店で、とてもけばけばしい額縁を見たことがあります。サイズは普通なのですが 金色のボールや宝石のような光ものがくっついていて、とても派手なのです。いったいどんな絵や写真がこの額縁に収まるのだろう?と疑問に思ったくらいでした。 いや、中身は何だってかまわない、つまりは額縁が主役なのです。...