信じる者になりなさい

十月十三日 信じる者になりなさい (ひとしずく六一六)   先日出会った男性は、こう言って嘆いていました。「自分は大学を中退してしまったから、良い就職ができない。神様は、私に対して厳しい」と。神様と言っても、彼はずっと仏教を学んでいた人で、最近カトリック教会で神様について学び始めたところです。 その男性は40歳くらいで、健康的に特別問題があるわけではなさそうでし た。私は、「自分も中退です。大学にいることに意義を見出せなかったからです。」と説明しました。私は、宣教師になる決意をしてから、大学で専攻していた工学...

心をつくして

十月十二日  心をつくして    わたしのベストは、パーフェクトでないかもしれない。 いや、パーフェクトでありえるわけはない。 ただの砂粒、いや土のちりにすぎない者で、土に帰る者にすぎない。 しかし、全地全能の神であられる方が、このちりも造られた。 神の計り知れない知恵によって、このちりの塊が世界中のどこでもなく、ここに置かされている。 神の計り知れない知恵によって、このちりの塊が他のどの時代でもなく、今、ここにある。...

静まることの力

十月十一日 静まることの力 (ひとしずく六一五) 昨日は、友人の店「カフェ・マルシェ」にて、「ミュージック&トーク」という音楽と主のメッセージに聞き入ってもらうためのイベントをさせて頂きました。テーマは「嵐の中の平安」でした。  第一部が終わり、二時間を挟んでまた同じ内容の第2部が始まります。 ...

世を照らす光

十月十日 世を照らす光 (ひとしずく六一四) あなたがたは世の光である・・・あなたがたの光を人々の前に輝かしな さい。(マタイ五章一四、一六節) イエス様は、世の光です。そして主は私たちのことも世の光だと言われました。光には、暗闇の中で周りを照らすという任務があります。しかし、私たち自身の内に光はありません。主からその光のエネルギーを受け取らなければ、私たちには輝く力はないのです。...

山頂まで行かなくてもいい

十月九日 山頂まで行かなくてもいい (ひとしずく六一三) 昨日、山登りが大好きという女性に出会いました。そして彼女が感じている山の魅力について色々聞くことができ、とても興味深いと思いまし た。  ...

受け取るという謙遜さ

十月八日 受け取るという謙遜さ (ひとしずく六一二 改訂版) ある人は、本当に犠牲的です。 他の人から何かを頼まれるといやと言えず、逆に人から助けを差し出されると、つい遠慮してしまうのです。 「何か困ったことがあったら、いつでも声をかけてね」...

安息日

十月六日 安息日 (ひとしずく六〇九) 十一 月に家族で秋田に行くことができるようになりました。最初は状況から見て不可能に思えましたが、主は私たちの祈りを祝福し、それを叶えて下さったのです。 これは主が単に祈りに答えて下さったということだけではなく、家族が共に同じ時を過ごし楽しむということが、主の御心に適ったものだったからだと思っています。 主は私たちが家族、または友人などと、絆を深め互いに楽しい時間をとることを本当に喜ばれるのだと思います。私たちは、ともすれば、ただ生活と仕事の忙しさに追われ、そしてそれを優先順位の第一に置い...

一粒の種

十月五日 一粒の種 (ひとしずく六〇八) よくよくあなたがたに言っておく。一粒の麦が地に落ちて死ななけれ ば、それはただ一粒のままである。しかし、もし死んだなら、豊かに実を結ぶようになる。(ヨハネ一二章二四節)                「小さな種」 小さな種よ    お前は自分がどんな者になるかわかっているかい?    いえ、知りません    私については色々なことが語られています...

荷物のかたわらにとどまる人たち

十月四日 荷物のかたわらにとどまる人たち (ひとしずく六〇七)  ダビデは自分の主君イスラエルの王サウルの手を逃れていました。それは、サウルが国民の人気を集めているダビデによって自分の王位を失ってしまうことを恐れていたからでした。 ダビデはもはや逃げ場がなく、手勢わずかの軍と共にサウルの敵であるアキシ王(ペリシテの王)のところに身を寄せていまし た。  アキシ王及びペリシテの他の王たちは、イスラエル、つまりサウル王との戦いに、ダビデとその兵士を連れて行くことを許さなかったので、ダ...