最も小さい者のひとりに

11月23日 最も小さい者のひとりに (高原だよりより ひとしずく) 先日、娘の一人と散歩をしていると、林の中に黄色い実をみつけました。近所の人が「これは木苺で、食べられるのよ。おいしいわよ」と教えてくれました。 さっそく、わたしたちは摘み始めたのですが、そこはいつも会うおじいちゃんの林でした。勝手に木苺を摘むのも気が引けたので、おじいちゃん の家に、採ってもいいか尋ねに行くことにしました。...

全体像

全体像 (高原だより ひとしずくより) 子供たちがデッサンを近所の方から教えてもらっています。わたしも時々デッサンについて、その方からお話を聞くことがあるのですが、とても興味深いお話がありました。それは、絵を描く時には全体をひとつの塊として捉えることだということです。その方は言いました。「初心者はどうしてもあちこち、部分的な所をうまく描こうとして、その細部にこだわってしまうところがある。しかしそのこだわっている部分は、あくまでも全体の一部であっ て、その一部が全体の他の部分と良いバランスを保っているということが大切なんだ」と。...

備えの祈り

11月21日 備えの祈り イエス様は、将来どんなことが起こるか予知できたようです。向こうの村へ行きなさい。するとすぐ、ろばがつながれていて、子ろばがそばにいるのを見るであろう。それを解いてわたしのところに引いてきなさ い。もしだれかが、あなたがたに何か言ったなら、主がお入り用なのです、と言いなさい。そう言えば、すぐ渡してくれるであろう。(マタイ21章 1、2節)  もし私たちが、イエス様のように、いろいろなことを予知できるのなら、どれだけ物事が容易になるだろうかと思いました。イエス様はただ予知された...

今年のクリスマス・ウィッシュ(クリスマスの願い)

11月20日 クリスマスの願い ひとしずく630 <毎年、年末が近づく頃になると、とても忙しくなります。冬を迎える準備もそうですが、何と言ってもクリスマスです。イエス様のことを伝える絶好のチャンスです。今年のクリスマスはどんなことを主は御計画されているのだろう?と期待を持って色々考えます。  振り返ってみると、クリスマスの時には、特に感動のいっぱい詰まった思い出が甦ります。 ...

慰める人となるために

11月19日 慰める人となるために (ひとしずく 高原だよりより) うちしおれている者を慰める神 (第二コリント7章6節) 神は、いかなる患難の中にいる時でもわたしたちを慰めて下さり、また、わたしたち自身も、神に慰めていただくその慰めをもって、あらゆる患難の中にある人々を慰めることができるようにして下さるのである。(第二コリント1章4節) 神様は、「慰めの神」です。どんな患難の中でも慰めてくださいます。そしてその神様からいただく慰めをもって、他の人をも慰めることができるようになるのです。...

親切の種

11月18日 親切の種 この地域<那須>のある牧場を見学し、わたしは意外なことを知りました。そして、それは、わたしを懐かしい思い出にいざなってもくれました。その牧場の展示場には、中国東北部(昔の満州)の古い写真が飾られていたのです。それは、日本兵たちが酪農を行っているものでした。終戦後、日本に帰還した彼らは、再び酪農を始めたと説明書きにありました。もともと酪農の経験のなかった彼らに、異国の村人たちが教えてくれたということでした。...

闇の中

11月17日 闇の中あなたがたのうち主を恐れ、そのしもべの声に聞き従い、暗い中を歩いて光を得なくても、なお主の名を頼み、おのれの神にたよる者はだれか。(イザ ヤ50章10節)夜になると、わたしの家の近くには街灯ひとつないところがあります。月が出ていれば辺り一面見事な景色ですが、月の隠れた夜は、まさに真っ暗闇で す。引っ越して来たばかりの頃は、真っ暗闇のその場所を通るのがとても怖かったものです。何も見えないので、視覚によらず、別の感覚や記憶に頼ら...

ゆとり

11月15日 ゆとり (ひとしずく-高原だより)散歩をしていると、道と田んぼの間の草むらに、腰を下ろして一服している農夫のおじいちゃんがいました。道端の草刈りをしていたようです。あいさ つを交わして、わたしもそこに腰を下ろし、しばらく話をすることになりました。このおじいちゃんとは時々話すのですが、冗談もうまく、なかなか味 のある話をします。さて話が口蹄疫のことになりました。彼はこう言いました。「あんな狭い所に何万頭もの牛を入れてりゃあ、牛も病気になって当たり前だよ。第一、そ...

マタイ7章21節について

11月15日 マタイ7章21節について (ひとしずく643)「わたしに向かって『主よ、主よ』と言う者が皆、天の国に入るわけではない。わたしの天の父の御心を行う者だけが入るのである」(マタイ7:21)...

証しの喜び

11月14日 証しの喜び (2011年11月) 証は、最高に素晴らしい体験だと思います。人が、愛の神様を見出し、ついに自分の探し求めていた光に出会えて涙を流して喜んでいるのを見ることほど、嬉しく、また報われるものは、地上には他にないのではないかと思います。...