天国は彼らのもの

天国は彼らのもの (2011年7月配信 ひとしずく521)

 「封建城外要塞のために廃したる古き天然の川跡あり。これは数百年間河川 を虐待して天然に背きたる跡なれば、先ずこれを復するの順法に出ざるべからず」

 これは林竹二氏の書いた「田中正造の生涯」に引用されていた田中正造の言 葉です。私はその本の中で林氏が指摘していることから、現代に生きる私達にも学べるものが多くあると思いました。

 徳川幕府の時代、関東周辺領土の保護のために、東京湾に流れ込んでいた利 根川の水を大平洋に流すための治水工事が行われました。しかしそれ以来、大雨の際には川の水の逆流による 洪 水被害が拡大したそうです。また足尾銅山の鉱毒による渡良瀬川汚染(渡良瀬川は利根川に流れ込んでいます)、また銅山周辺の材木の乱伐な どは、洪水が起る 度に渡良瀬川周辺の田畑に鉱毒による被害をもたらしました。その鉱毒で汚染された水が東京に流れ込まないように、水瓶の役割を果たす遊水 池を元の谷中村の 場所に設置するため、大勢の農家の人たちはその土地を捨てることが強制されたといいます。農民はすでに鉱毒の被害で、農作物が実らず非常 な苦しみに遭って いました。
  議員であった田中正造がいくら声を張り上げて訴えても、国会で被害者に対する救済をしてくれなかったために、終には何もしない議会での討 論に見切りをつけ て、議員を辞め、天皇の直訴を決行したのです。しかしそれでも願い叶わなかった田中正造は、鉱毒によって廃村にさせられる、その残留民の 人たちの一員と なって生きることを決めたのでした。

 冒頭の文には、汚染された川やその川周辺の村を、村民の人たちと力を合わ せて再興しようとする彼の固い意志が感じられます。
  長い間の封建時代の勢力保持、また農民の被害を顧みずに銅増産を続けてきた企業や政府、そしてそれらの癒着、またさまざまな隠蔽によって 取り返しがつかな いほどの汚染と破壊を前に、熱血漢の田中正造は、自分の力の限界を悟ります。そして、それをもたらした人間の罪深さ、欲深さ、そして自分 もまた残留民を上 から下への目線で見ていた態度の間違いに気づきます。
 その中で、何世代もなされていた腐敗した行政のあら探しをしても答えにな らず、すべきことは虐待されてしまった渡良瀬川の再生のために、できることを自らが始めるべきであるとの結論に達したのでした。
 そして彼は、渡良瀬川治水の研究踏査のために、その残りの生涯を費やした のです。

 田中正造は以前では、自分が何もわからない村民たちを指導する立場である という自負を持っていましたが、残留民の命をかけた生き方に、最後には彼らから学ぶ態度になり、谷中村の一残留民になったと林氏は記して います。
 田中正造の考えを変えたのは、そうした谷中村残留民の生き方であり、聖書 の言葉でした。悪の糾弾暴露だけではなく、自ら神の子として生きる生き方を見つけたのです。
  臨終を迎えた時、彼が持っていた袋の中には、谷中村の報告書、法律書、石ころ、ちり紙、そしてマタイの福音書と新約全書が入っていたそう です。彼は主の来臨と、聖書の言葉の真理に生きる人たちによる天国を待ち望んでいたのです。そして主は、そんな彼と共に歩んでいて下さっ たのです。

私たちは知っています。天国は彼らのものであると・・・。

「民のうちの賢い人々は、多くの人を悟りに至らせます・・・賢い者のうちの ある者は、終わりの時まで、自分を練り、清め、白くするために倒れるでしょう。」(ダニエル11:33a,35a)

「こころの貧しい人たちは、さいわいである。天国は彼等のものである。
悲しんでいる人たちは、さいわいである。彼らは慰められるであろう。
柔和な人たちは幸いである。彼らは地を受けつぐであろう。
あわれみ深い人たちは、さいわいである、彼らは、あわれみを受けるであろ う。
心の清い人たちは、さいわいである、彼等は神を見るであろう。
平和をつくり出す人たちは、さいわいである、彼らは神の子と呼ばれるであろ う。義のために迫害されてきた人たちは、さいわいである、天国は彼らのものであ る」(マタイ5:3-10)

他の投稿もチェック

この悪い時代にあって

ひとしずく1545-この悪い時代にあって セウォル号沈没事故からひと月になります。未だ、毎日のように、新たにわかった事実が報道されています。船が沈みかけていると いう土壇場で、船 長がとった咄嗟の行動が、我先にと自分の命を守るということでしたが、自分ももし船長の立場であったらどうしたであろうと考えさせられた人も多かったので はないでしょうか。 パニックになると人はどんな行動をとるかわかりません。が、一つだけ言えることは、こういった土壇場でも、やはり日頃の態度が あらわれるということではないかと思います。...