新しい人

五月二八日 新しい人 (二〇一三年 ひとしずく一二二七)  誰でもイエスキリストにあるならば、その人は新しく造られたのである。古いも のは過ぎ去った、見よ、全てが新しくなったのである。(第二コリント五章十七節)  この聖句を読んで、自分はイエス様を信じているけれども、本当に新しい人になったのだろうか?と疑問に思う人もいるかもしれません。あるいは、新しいスタートを切りたいと思っても、自分の古い癖に何度も陥ると、その聖書の言葉は自分には当てはまらないようにさえ思えてくるかもしれません。  ...

母に見る神の愛

五月二七日 母に見る神の愛 (二〇一三年 ひとしずく一二六〇) 北海道に行く前に、術後のリハビリを行っている母に会いに病院へ行きました。病院近くに住んでいる弟もやってきてくれました。 別れ際になって母が、 私たちに自分の心の内を分け合ってくれました。 「私がね、なぜ、手術を受けることにしたかというとね・・・」と話を切り出しました。...

夕となり、また朝となった

五月二六日 夕となり、また朝となった (二〇一三年 ひとしずく一二五八)   最近、眠ることについて色々と考えさせられています。  ある人の説では、夜の十一時から翌朝の三時までが、最も深い眠りをすることができるので、その時間外に長く睡眠するより も、その時に眠ると疲れがとれると言っています。  絶えずプレッシャーに曝されている現代の人たちは、夜更かしを して、仕事をこなそうという思いに駆られてしまいます。しかし、そうした状態では、体も持ちませんし、精神にも霊にも悪影響を及ぼしてし まいます。...

泉を守る

五月二五日 泉を守る (二〇一三年 ひとしずく一二五七) 昨日、北海道の苫小牧からフェリーで、八戸港に渡り帰ってきました。前日はお風呂に入っていなかったので、帰り途中に立ち寄ったコンビニで、近くにお風呂に入れる所はないかと尋ねたところ、少し行った先に小さな温泉宿があるということで、そこに行ってみることにしました。  田んぼの中の道を通って、こんもりした森に入ってしばらくすると一軒の建物が見えてきました。普通の民家よりちょっと大きいくらいの建物で、一見、温泉宿とはわかりませんでしたが、看板を見て、そこだとわかりました...

休息は神の御心

五月二一日 休息は神の御心 (二〇一四年 ひとしずく一五三六)  「今日は、どうだった?勉強進んだ?」と娘に尋ねると、娘はちょっと悪い事でもしたように、「今日は疲れて眠っちゃった・・・」と答えました。 実は、私も朝から薪小屋を作るので忙しく、昼ご飯を食べたら、もう体がぐったりで、眠ってしまいました。しかし、その一時間の昼寝の後、再び元気を取り戻すことができました。娘に、「休むことも、主の御心だよ」と話しました。...