むしろ癒されるように

五月十五日 むしろ癒されるように (二〇一二年五月 ひとしずく八二三)   一昨日、友人のSさんから、嬉しい癒しの体験を聞きました。彼女は以前からずっと膝を患っていて、病院で二〇年間も痛み止めの注射を打ってもらっていました。しかし、最近は痛みもとれ、医師からは注射はもうしなくて大丈夫だと言われたのだそうです。  Sさんは、つい最近旦那さんと山に山菜採りに行ってきたといって、山菜料理を御馳走してくれました。今では痛みもなくなり、もっと色々なことができるようになり、感謝で一杯のSさんが作ってくれた料理はとても美味しかったです。...

気づかぬ恵みの内に生かされて

五月十四日 気づかぬ恵みの内に生かされて (二〇一二年五月 ひとしずく八二五)    友人がお母さんのお葬式で、自分で作詞作曲したというお母さんに捧げる歌を歌いました。お母さんへの感謝に溢れた歌で、とても素晴らしいので、私はその歌を録音して、機会ある毎に人に聞かせています。それを聞いた何人もの人が、目に涙を浮かべるのを見ました。 そしてある人が言ったこの言葉が印象的でした。「こうした歌を作ってくれるのは、死んでからなんだよね」と。その言葉から、子供さんとの関係について、試練を感じていることが伺えました。...

赦されるために

五月十三日 赦されるために (二〇一二年五月 ひとしずく八二一)   「神様に赦されるためには条件がある」 こう言うと、それではイエス様の深い愛、赦しの愛はどうなるのだ? イエス様の赦しはそのようなものではないはずだ・・・と言う人もいるかもしれません。  しかし、聖書を読むと、赦されるにはやはり条件があるのです。人を赦すという条件が。   もし人をゆるさないならば、あなたがたの父も、あなたがたのあやまちをゆるして下さらないであろう。(マタイ六章十五節)...

教会

五月八日 教会 (二〇一二年五月 ひとしずく八一四)  以下はインターネットに載っていた「教会」について語っている内村鑑三氏の言葉です。「キリスト教の「教会」という言葉は、かの洗礼という言葉と共に、今日非常に世人の誤解を被(こうむ)っている。ある人はこれを普通一般の伽藍(がらん)で あるように説き、ある人はこれを神の礼拝堂と考えている。言い換えれば、彼等は「教会」そのものを直ちに壮麗な建物と結び付けるばかりで...

光を灯して

五月七日 光を灯して (二〇一二年五月 ひとしずく八一一)  一昨日、那須から秋田に帰ってきました。お昼過ぎに那須を出たので、秋田の山道にさしかかった時には、もう真っ暗になっていました。他に通る車もなく、その道には全く街灯がありません。山のカーブ道が続き、ある所は片側が谷になっている所もあり、しかもガードレールもない部分もあるので、一歩間違えたら、それこそ命取りです。 この暗闇の危険な道で、唯一頼りになるのは車のヘッドライトです。その光が、道の中央線や路側帯のラインやガードレールを照らし出してくれ、行くべき道を導いてくれるのです。...