母に見る神の愛

五月二七日 母に見る神の愛 (二〇一三年 ひとしずく一二六〇) 北海道に行く前に、術後のリハビリを行っている母に会いに病院へ行きました。病院近くに住んでいる弟もやってきてくれました。 別れ際になって母が、 私たちに自分の心の内を分け合ってくれました。 「私がね、なぜ、手術を受けることにしたかというとね・・・」と話を切り出しました。...

気づかぬ恵みの内に生かされて

五月十四日 気づかぬ恵みの内に生かされて (二〇一二年五月 ひとしずく八二五)    友人がお母さんのお葬式で、自分で作詞作曲したというお母さんに捧げる歌を歌いました。お母さんへの感謝に溢れた歌で、とても素晴らしいので、私はその歌を録音して、機会ある毎に人に聞かせています。それを聞いた何人もの人が、目に涙を浮かべるのを見ました。 そしてある人が言ったこの言葉が印象的でした。「こうした歌を作ってくれるのは、死んでからなんだよね」と。その言葉から、子供さんとの関係について、試練を感じていることが伺えました。...

休ませてあげよう

三月三一日 休ませてあげよう (二〇一三年七月 ひとしずく一二三一)  皆さんのお祈りのおかげで母の手術は順調に行きました。そして翌日、面会した時には、かすかな声でしたが会話もできて、意識がはっきりしていることも確認でき、ほっとしました。お祈りありがとうございます。  その病院からの帰り道に、ただ主とだけ時間をとることにしました。体にも疲れを少し感じていましたし、主も、色々なことを通して、立ち止まることを語っておられると思っていたので、前日からその日は どこかで静まる時間をとることを決めていました。...