真の友

六月二日 真の友 (二〇一四年 ひとしずく一五六一)  以前、「痛みが自分の友となりました」と言って、何十年間、障害を抱え、その上 三・一一の被災にも遭った方のことを紹介しました。その方は、痛みが昼夜を問わずいつもあるために、夜もぐっすり眠ることができません。彼が、痛みを友と呼んでいたのは、その痛みから解放されることをあきらめて、痛みを抱えて毎日を過ごすことを受け入れたためであったと思います。...

教会(エクレシア:呼び出された者たちの集まり)

五月二〇日 教会(エクレシア:呼び出された者たちの集まり)(二〇一二年五月 ひとしずく八二八)   兄弟姉妹に囲まれているって素晴らしい   食物を持ち寄り、共に食べて賛美して、 次はどこどこで集まろうかって話し合って、喜びを共にする 困っている人があれば、その人のために皆で祈る 主イエスを真ん中にして、みんなが集まる これこそ、教会だと思う   それぞれが、気づいたことを率先してやってくれる それが、みんなの集まる場所に花を生けることであれ トイレの掃除であれ、また食器の片付けであれ...

私たちの望みは主にあり

五月六日 私たちの望みは主にあり (二〇一二年五月 ひとしずく八一〇)  信心があって足ることを知るのは、大きな利得である。わたしたちは、何ひとつ持たないでこの世にきた。また、何ひとつ 持たないでこの世を去って行く。(第一テモテ六章六、七節) これは先日聖書を読んでいて、改めて心に響いた言葉です。 一般的に、私たちのこの地上での煩いの大半は、物(お金)を持っていること、持っていないこと、あるいはもっと多くなる...

ここに愛がある

四月二九日 ここに愛がある (二〇一二年四月 ひとしずく七九八) 罪で満ちて汚れ腐敗している全宇宙の中の闇に覆われたちっぽけな世界「そんなものなど放っておけいずれ人の世はもう終わりにするのだから」と神様に言われても仕方ないしかし、彼はそうは言われなかった神の愛の不思議はそんな闇の世に生まれてこられてちっぽけで利己的な私たちのために命を捧げてくださったことそして、私たちの内に今も生きておられ決して見捨てずに愛し続けておられること永遠に生きておられ全宇宙の創造者であられる神その偉大なる神が小さな者に愛を注がれる...

二人の主人、神と富

四月二五日 二人の主人、神と富 (ひとしずく一一一九) 「スイスの神学者ジャン・カルヴァンは、そのヘブル人の預言者らについての注解において、神はその貧しき者と一体であり、 彼らの叫びは神の痛みを現していると述べている。」(「The Reason for God」...