主の愛の手

九月二四日 主の愛の手 (ひとしずく五九四)  生涯、従事してきた仕事が突然取り去られたり、あるいはその労働の実が一瞬にして害われたとしたら?また、信頼していた人に裏切られたり、生きがいになっていた愛する人を失ったとしたら?考えると、世の中は悲しみ、悔しさ、虚しさであふれています。  しかし、悲しみの効用については、多くの人たちが、その体験を通して知っています。 私は、悲しみとは、神様が、他には道がなくて与えられた、救いのための愛の手のようなものだと思います。私もいく度もの悲しみを体験し、その愛の手によって助けられてきました。...