執筆者 Akashi | 1月 29, 2025 | イクシス, 聖書の基礎
イエス・キリストの救いの御業-パート3 聖書の基本4 https://ichthys.com/4A-Christo.htm ロバート・D・ルギンビル博士著 II. イエス・キリストの救いの御業 <iii> 3. 無制限の贖罪<a>: すべての人が救われることが神の願いであり(エゼキエル18章23節; マタイ18章14節; ヨハネ12章47節; 使徒行伝17章27節; 第一テモテ2章4節; 第二テモテ2章24-26節; 第二ペテロ3章9節;...
執筆者 Akashi | 3月 28, 2024 | 記事
ひとしずく748-口の言葉何を語ろうとしているのか?それを語る必要があるのだろうか?その必要とは、自己を弁護し、相手を打ち負かすためのものなのだろうか?相手を中傷してまで、勝たなければならないほど、それは価値あることなのか?もし中傷することが、いたずらに相手の心を傷つけるだとしたら、私たちはまず第一に、 このことに関わるべきなのだろうか?私たちが神様から与えられた使命は、相手の善し悪しを言うことと何の関係があるのか?語らないと、神様の御国にとって何か損失が生じるのだろうか? 相手をあざけり、こきおろすという手段を使って、自分の...
執筆者 Akashi | 3月 12, 2024 | 記事
愛 と赦しをもって 偉大な思想を掲げる哲学者よりも、あらゆる知識に通じている物知りよりも、自分の正義を主張する活動家よりも、人の過ち を赦し、謙遜に人の嘆きに耳を傾け、助けの手を静かに伸べる人の方が、はるかに人の心に訴える力を持つように思えます。それはきっと神様 の力が働いているからなのでしょう。 自分の考えや知識をひけらかし、また自分の正しさを主張したくなるところが、多かれ少なかれ人にはあると思います。しか し、私たちは皆、不完全で、過ちをよく犯し、ただ神の憐れみによりすがらなければならない存在です。...
執筆者 Akashi | 1月 17, 2024 | 記事
新しいスタート (2011年8月配信 ひとしずく546) 軽井沢二泊三日の最終日の午前中、子供たちが他の部屋でアクティビティーをしている間に、被災者であるお母さんたちと妻と私の7人 で、テーブルを囲んで ゆっくり話をする機会を作りました。そのお母さんの一人が、こんな胸の内を話してくれました。「私は、懺悔したいことがあります」彼女はクリスチャンでは ありませんが、余程、心に重くのしかかるものがあり、私が宣教師であることを知ってか、聞いてほしかったのでしょう。 こみ上げる涙をぬぐいながら、何とか話そうと努力している彼女の言葉を、...
執筆者 Akashi | 11月 2, 2023 | 記事
(二〇一一年十一月 ひとしずく六一九) ある人達はこう言います。「イエス様は十字架上で殺され、地上での任務は 失敗に終わってしまった」と。 十字架刑は、罪人としての死を遂げるということですから、確かに十字架の 死は、敗北のように見えます。 しかし、イエス様の生涯から、その十字架の死を除いたら、私たちは主によって救われることも、また天国に行くこともできなくなってしまっ たことでしょう。 そして何よりも、イエス様の苦しみと死は、イエス様と私たちを、愛の絆によって一つに結ばせたのです。私たちがイエス様への敬慕の念を抱...