雪球(ゆきだま)

ひとしずく741-雪球(ゆきだま)(2012年3月) 二十四歳になる娘と一緒に、秋田に帰る途中でのことです。岩手と秋田の県境の峠を越えて山道を降りて行くと、とても不思議で美しい光景に出会いました。  ここ二日ばかりは雪が降らず、暖かい日が続いていたせいか、道路の両脇にはまだ雪の壁が続いているものの、その背後に広がる林は、雪が溶 け、こげ茶や灰色 の木々が、その幹や枝を露にしていました。そして何が私たちの目を引きつけたかというと、木々に大きな雪の白い球が、いくつも乗っている 光景です。木に積...

深い主の愛

ひとしずく740-深い主の愛 主よ、あなたはなぜ、ご自分について人々が嘘の証言をした時ご自分のことを弁護されなかったのですか? なぜ、嘲る者たちが、あなたを不当に鞭打つ時また処刑場のゴルゴダの丘に引かれて行く時天の十二軍団を呼び降ろされなかったのですか? ローマの総督に問いつめられた時あなたは何も答えられなかった兵士に唾をはきかけられいばらの冠をつけられ鞭打たれても口を開かなかった 疲れて傷だらけでぼろぼろの体になって十字架を背負ってよろこめきながら丘を上られた...

本当の所有とは

ひとしずく739-本当の所有とは「与えてしまうまでは所有していることにならない」    最近、読んだ本に、こんな言葉がありました。考えてみると、私たちはこの地上で、どんなものもいつまでも持っているということはできません。 肉は朽ち、死を迎えます。その時、この地上で手に入れたあらゆる財産も、そして名誉も地位も、何一つ携えていけるものはありません。 しかし、天国に持っていけるものもあります。それは他の人に与えた愛です。そして分け与えたことのその喜びは、天国でなくてもこの地上でも味わうことができるのです。...

初めであり、終わりである神

ひとしずく738-初めであり、終わりである神 「恐れるな。わたしは初めであり、終りであり、また、生きている者である。わたしは死んだことはあるが、見よ、世々限りなく生きている者である。そして、死と黄泉とのかぎを持っている…」(黙示録1:17,18) この「わたし」とは誰のことでしょう?「死んだことはあるが、見よ、世々限りなく生きている者」そうです。それは、十字架で命を捧げ、三日後に甦られたイエス様です。その主がこう言われています。 「わたしは初めであり、終わりである」...

神の恵みを知る者となるために

ひ としずく374-神の恵みを知る者となるために 天使みたいな子だったのに・・・。 無邪気で純真と思えた子供が、次第に真似てほしくないことを真似たり、反抗 的になったりします。それが外からの影響だったりすると、親として、何とかその影 響から守ろうと躍起になります。しかし、思春期のあからさまな反抗的な行動には、手の打ちようがないように思える時があるのです。 あの純真な天使がいなくなってしまった(ハ ハ、親バカです!)ことで、私は、がっかりしたり、どこで間違ってしまったのかと自分を責めたり、どうし...