力は主にある

力は主にある 人生は旅。クリスチャンにとっては、巡礼の旅です。どこに向かっているかというと天にあるふるさとです。主からの任務を果たしつつ歩んでいく荒野の旅です。  信者が聖書の真理に立って、信仰に生きようとする際、この世はそれに対してあらゆる面で立ちはだかってきますので、荒野というのがふさわしいです。荒野は、供給においても、保護においても、また子供を世話し、家族を守るにも、ただ神に頼るしかない困難な場所です。しかし神がおられるなら、そこは祝福の場所となります。...

荒野で…

荒野で… 荒野にいるから、大いなる都がどんなものか見えてくる レールから外れて、はじめてレールの上をがむしゃらに走ることがどんなものか見えてくる 自国から離れて、はじめて自国が見えてくる 村八分にされて、はじめてその村が見えてくる 辱めを負って、はじめてあざける者の座に座らぬ者の幸いを知る 悪霊に悩まされて、はじめて解放の喜びを知る イエスは、 神であられることを捨てて、肉をまとわれた神だから...

悪の霊に対する戦い(エペソ6章12節)

悪の霊に対する戦い(エペソ6章12節)  私たちは、霊の戦いに従事していることになっています。しかし、霊の戦いであるのに、霊の武器を十分ふるっていない時があると思います。主は霊の戦いを通して、その戦いをどのように戦うかを教えておられるのだと思います。戦い方は、戦うことを重ねてしか練達しません。  イエスがゲラサの地で会われた男の人、彼は大勢の悪霊につかれていました。...

ゴメンなさい

ゴメンなさい 昨日、大豆とオクラの混作している畝の脇に生えている草を草刈り機で刈っていた時、自分では注意していたつもりでも、オクラの苗の葉っぱを切っていたことがわかりました。娘がそれらの草と一緒に切り取られた小さな葉っぱを手に取り上げて、悲しんでいたのは言うまでもありません。最近は、大体、娘が種から苗を育てています。  私は、「ごめん。気をつてたけど。見えなかった…」...

このために…

このために… 夕暮になり日が沈むと、人々は病人や悪霊につかれた者をみな、イエスのところに連れてきた。 こうして、町中の者が戸口に集まった。 イエスは、さまざまの病をわずらっている多くの人々をいやし、また多くの悪霊を追い出された。また、悪霊どもに、物言うことをお許しにならなかった。彼らがイエスを知っていたからである。 朝はやく、夜の明けるよほど前に、イエスは起きて寂しい所へ出て行き、そこで祈っておられた。 すると、シモンとその仲間とが、あとを追ってきた。 そしてイエスを見つけて、「みんなが、あなたを捜しています」と言った。...